香港MBA留学後記

留学、その後

北京の思い出

6/18~7/15まで、中国語の研修で1か月北京に留学した。既に8月になってしまっているが、忘れないうちに北京での一ヶ月のことを簡単にまとめておきたい。香港に来てからはプログラムでのストレスもそれなりにあるので、思い返すとあの一ヶ月の方が本当に気楽に楽しめていたような気がする。もっとも、得たものもとても大きかったのだが。

 

到着~入学 

6/16にプロジェクトの最終報告&最終出社&送別会を済ませ、翌日徹夜で引っ越し準備と荷造りをしたのち、6/18の朝8時に北京に出発。5時間ほど到着が遅れて21時頃着。コンサルタントになりたての頃に買った思い出深いスーツケースを中国東方航空に壊され、大クレーム(これはこの後一週間尾を引き、結局チンピラのようなエージェントから現金400元を受け取り一旦決着)。Airbnbの宿の場所が見つからず、小区の警備員のような人に50元を握らせ案内してもらうも夜遅かったために大家が開けてくれずにホテルで一泊。

 

 

一夜明けて、早速中国語の学校に登校した。Beijing International Communication College(BICC)という学校なのだが、これはHKUSTが正式に薦めてきた清華大学のプログラムとは異なり、授業時間1.5倍で授業料半分ぐらいの学校を日本人同級生のK君が見つけてきた学校である。教師によるバラつきは大きいと感じたが、それでも圧倒的にコスパが高いと思われるので、来年以降の入学生にはお勧めしたい(もっとも、後述するように授業は半分ぐらいしか出なかったのだが)。同級生には伊藤忠から派遣で来ている日本人も二人おり、この学校で半年でHSK最上級の6級を目指すのが習わしだというから、それなりの実績は保証されているかと思われる。

 

今年は、HKUSTから僕とK君に加え、インド人のA、UK/香港ハーフのAの4人がこの学校に通っていた。HKUSTの正式プログラムの方は、マレーシア/UK/香港のC、インド人のRとA、ドイツ/南アフリカのP、アメリカ人のPなどが通っており、すぐに交わって一緒に飲むようになった。

日々の生活

朝9時~12時半に2クラスあり、これは入学時のレベルに応じてクラスが割り振られた。自分は日本人K君と、HKUST生以外のドイツ人の3人のクラス。なお二つ目のクラスの先生とどうしても馬が合わず、こちらは結局2回だけ出席してあとはスキップすることになった。午後は2時から3時半までマンツーマンクラスがある。

 

日本人のK君は恐らく全ての授業にしっかりと出席していたが、自分は全体として半分くらいの出席率だっただろうか。出席していない時間でも、結構しっかりと中国語の学習はしていたのだが、やはり終わる頃にはK君の方が上達していたと思う。

 

Airbnbの家は三里屯という北京でいえば表参道のような場所にあり、そこからレンタル自転車で10分ぐらいかけて通学していた。夜になると以下の写真のような感じでキョンシーでも出てきそうだし、エレベーターなしの5階住まいだったりしたのだが、意外と快適に過ごすことができた笑

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北京での所感

全体として

HKUSTのMBAプログラムを選択し、必須でもない中国研修に行ったともなると、さぞかし親中派と思われそうだが、自分はもともとあくまで「中国にアレルギーがない」程度の人間であり、むしろ東南アジアでのキャリア志向が強い。しかし東南アジアでビジネスをするとしても華僑・中国経済の影響は無視できないところなので、「仕方なく」中国のことも学ばなければいけないかな、といった程度のモチベーションであった。今にして思えば、中国に対しても中国人に対しても、どこか閉鎖的で薄暗いイメージと偏見に満ちていたと思う。これまでプロジェクトで中国が絡む論点に出くわすと、いつも「中国はよくわからない」「難しい」と感じていた。

 

ところが、一ヶ月の北京滞在はそうした偏見を一掃してくれる結果になった。中国ビジネスに前向きに取り組みたいという志向になり、そこにある大きなチャンスを見据えたいと考えるようになったのが、今の正直な感想である。

中国経済

一人当たりGDPではまだまだ日本の方が高く、栄えているとされる沿岸部、その中でも首都北京は中国の中でも圧倒的に豊かな都市であるはずだが、平均的な市民の暮らしはやはり日本の方がまだ豊かである。都市内でも貧富の差は激しいため、高級外車やセグウェイ(一日に一回は交通手段としてセグウェイが走り回っているのを見かける)が走っている横で、三輪のトゥクトゥクや自転車が爆走している。

 

しかし、一部の豊かな人達のリミッターは外れている感がある。例えば工人体育館の周辺はクラブ街になっているのだが、これらクラブの前には日々これでもかというほど高級外車が連なっている。ELEMENTSというクラブはこれらの中でもかなり盛り上がっている方なのだが、それでもダンスフロアとVIP席の比率は東京の比ではない。殆どがVIP席。

 

そして、中国経済が既に明確に日本よりも進んでいる点がある。電子決済・レンタル自転車・宅配サービスである。もっとも、レンタル自転車にしても宅配サービスにしても、WeChat PayやAlipayのようなスマホ電子決済が普及しているからこそ発展を遂げている。Mobikeやofoといった街中のレンタル自転車のQRコードにスマホをかざすだけで、自動的に決済が完了すると共に解錠される便利さには感動した。外食の宅配サービスも非常に一般的なのだが、頼んだものが入っていない時などには、配達員と一旦WeChatで友達になり、返金のやり取りをしたりすることもあるらしい笑 日本なら考えられないし、日本にいた時なら「せめて店の公式アカウントを複数の配達員で利用可能にするべきじゃないのか。セキュリティに不安が残る云々」などと感じていそうだが、中国にいると「まあそんな面倒なことしなくていいんじゃないの」と考えるようになるし、「そういうつまらないこと言ってると遅れるよ」とすら思うのである。何しろ、北京の街は既にオレンジのMobikeと黄色のofoで埋め尽くされているのだが、これとてほんのこの半年で普及したものだというのだから、変化の速度には驚かされる。誇張なしに、今では普通のおばあさんがスマホをかざしてレンタル自転車を決済・解錠して乗り回しているのである。

 

また、街並みは予想以上に美しかった(少なくとも三里屯周辺に限れば)。ポイ捨てなどのマナーが、ここ数年で劇的に改善してきているらしい。これも、自分としては大きくイメージが覆された部分であった(なお、少し道を入るとお母さんが子供のズボンを下ろして小便させていたりする光景に日常的に出くわす)。

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 なお、大気汚染は如何ともし難いレベルで最悪である。一週間ほど過ごしたのち、頭痛と共に鼻水が止まらなくなり、以後なるべくマスクをつけて行動するようになった。夏は冬に比べれば相対的にPM2.5の濃度が低い&夏場は空気がそこまで澱まないことからマスクをつけていない人も多いらしいのだが、しばらく北京に滞在した人であれば身の危険を感じるレベルで空気が汚れているとわかるはずである。

中国人

自分はいらぬ差別感情などを持っているタイプの人間ではないが、それでも大陸の中国人に対して、手放しでポジティブな感情を持っていたわけではない。つまり、少なくとも平均的に「マナーが悪い」「声が大きい」「不親切」といった印象を持っていた。

 

約一ヶ月を過ごした感想としては、まあ全般としてはマナーも悪いし声も大きいのだけど、思っていたよりもずっと親切な人が多いと感じた。あくまで浅い経験であるし、実際に中国人にこの感想を伝えたところ、「北京の中心部に限ればそれはそうだ」とのことではあるのだが、事前に抱いていたイメージは十分に覆された。

 

正確にいうと、彼らは「自分の輪」の中にいる人たちに対して親切であると感じたのである。即ち、中国人同士であっても、他人同士では非常に冷たい。言語特性もあると思うが(中国語では聞き返す時に啊?と言うが、これが日本人からするとチンピラが「あぁ?」と言っているように感じる)、人口が多い故に万人が万人に対して常に闘争をしているようにすら感じる。その一方で、家族・恋人・友人といった、自分の身の回りの人たちにはとても優しい。

 

必ずしも血縁や友人でなくても、「ふところ」に入りさえすればとても親切にされる可能性すらある。一度、カルフール(家乐福)に行こうとタクシーに乗った時、「カルフールは一杯あるんだよ!どこの!?」と凄まれ、Google mapを見せても不機嫌が収まらずに怖い思いをしたのだが、「わたし、中国語、勉強中。ごめんなさい」というようなことを中国語で伝えたところ、急に態度が軟化して話が弾むようになり、最後には勉強頑張れよと言われ握手を求められた上で和やかに下車したという経験があった。敬愛する川崎さんのブログでも、第三外国語は相手の文化へのリスペクトを示すツールだという指摘があったが、自分がこれから中国語を勉強する第一の目的は、まさにここにあると感じた。

 

もっとも、しばらく味をしめてタクシーに乗ったり銀行口座を開設したりする際に「わたし、中国語、勉強中」を連発していたものの、同じ経験は再現せずに何度も「啊!!??」と怒鳴られ、机を叩かれたりすることになるのだが。

中国語

北京は、一部のレストランやクラブでないと、基本的に英語は使えない。そうはいっても日本人はやはり漢字が読めるのが最大の強みで、レストランのメニューを見ても「この辺は麺類だな」「これは飲み物で、これはたぶんコーラ」というのは、中国語を勉強していない人でもわかる。

 

そこに来ると非漢字圏の人は本当に大変そうで、同じクラスにいたドイツ人は、ドイツでの仕事を辞めて北京で働くべく乗り込んできたそうなのだが、既に3か月ほど授業を受けたものの習得の進捗は極めて緩慢なようであった。

 

既に漢字をたくさん知っている日本人にとって、時制も動詞の変化もない中国語は、極論すれば漢字・単語の発音をひたすら覚えていくということにある。これは、外国語学習において、日本人が持っている数少ない強みである。中華の影響力が増していくのが避けがたい21世紀において、下手に中途半端な英語を勉強した人材を作るよりも、中国語に特化した方が習得可能性はあるのではとすら感じる。もっとも、向こうには一部のコンテンツファンを除いて日本語を勉強するモチベーションのある人はいないので、中国の属国として一方的におもねる色彩が強くなるため心情的には受け入れ難いところではあるのだが。

 

結び

毎日色々と衝撃的なことが起こり、そのたびに考えたことも沢山あったので、もっとこまめに記録をつけておけばよかったなと思うのだけど、仕方ない。中国語の学習はまだまだ途上だが、少なくともこの北京研修に行ったのは大正解であった。

 

HKUSTでは12か月間の香港でのプログラム終了後、4か月間交換留学に行くチャンスがある。これまではIESEかNYUに行きたいと考えていたのだが、上海のCEIBS(中欧国際工商学院)も現実的な選択肢として検討していきたい。

香港科技大学MBA受験体験記

HKUST日本人留学生のサイトを更新しよう!とジャパンクラブCTOのO君が頑張ってくれており、合格体験記の依頼が来たので早速書いた。TOEFL・GMATの点数は人に誇れるようなものでは全くないのだけど、Why香港?Why HKUST?の部分は、多少なりとも誰かの参考になることもあるのではと思うので転載しておく。

 

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Why MBA

高校生の頃から投資銀行やコンサルティングファームへの登竜門としてのMBAに興味があり、いつかは自分も行くものだと思っていました。大学の時に留学をするチャンスもありましたが、いつか行くMBAのために留学はとっておこうと思い、結局行きませんでした。ところが社会に出てからは仕事に夢中になり、結婚もし、気がつけば投資銀行もコンサルティングも経験し、そのうちにそのうちにと思っているうちに、あれほど憧れていたMBA留学に行くことは結局もうないのだろうなと思うようになっていました。

 

しかしその後私生活で離婚したことをきっかけに、改めて留学が現実的な選択肢として目の前に現れてきました。仕事は極めて順調で、今更肩書としてのMBAは必要がない。それでも、日本企業の成長戦略を検討する上で多くの場合第一に海外事業の強化が欠かせない状況下、国際経験が豊かな人が多い同僚たちとも比較する中で、自分を一段階磨き上げる必要性も感じていました。海外で長く過ごした経験がないこと、そしてその機会を自ら遠ざけ、諦めてきたことをどこかコンプレックスのように感じてもいました。

 

そのような折、ちょうど年に一度の社費留学制度の案内が流れてきたことから、これがきっと最後のチャンスになるだろうと思い申し込みを決意し、運よく他に応募者もいなかったため、2015年6月からMBA受験を開始することになりました。

 

Why HKUST

留学を志してから当初より、ずっとバルセロナのIESEのみを受けるつもりで準備を進めていました。MBAといえば最も主流のUSの学校は全般的に米国人比率が高いことから、英語も不得手なマイノリティ学生は置いてきぼりになりやすいと聞き、英語環境としてはタフであるものの、自分が求めていた国際的多様性の中でのマネジメント力を磨くという目的にはそぐわないように思いました。

 

そのような中、数歳年上で同じく社費留学経験のある上司が卒業したIESEは、在学生の多様性にかけては並ぶものがなく、ケース主体の大変多忙なプログラムで知られており、1年制が多い欧州の中で、2年弱みっちり取り組めるプログラムかつジェネラルマネジメント志向という点でも私にとって大変魅力的でした。ここなら自分が期待する経験ができると思いましたし、仕事が忙しかったので複数志願するのは大変ということもあり、専願で進めていました。

 

ところが2016年春頃、ふとしたことからHKUSTのアラムナイの川崎貴聖さんのブログを知り、そのアジア・中華圏における華麗なキャリアとMBAでの経験の詳細な記述に引き込まれ一気に貪り読むとともに、はじめてアジアMBAの存在に目が向きました。思えば、「海外」という漠然としたキーワードを旗印にそれまで進んできたものの、自分がこれからキャリアを積んでいきたい海外は、まさにアジアを指していました。投資銀行時代に関わった上海での現地法人とのJV設立や不動産の買収の仕事を皮切りに、コンサルタントとしていくつもお手伝いしてきたクライアントの海外進出プロジェクト等を通じ、いつも熱気溢れるアジアに日本と自分の未来を感じていました。

 

アジアのMBAの中では、ダイバーシティや優秀な学生を惹きつけるランキングの高さの面から、初期的にHKUSTが最も魅力的だと思っていたところ、東京でアドミッションのコーヒーチャットイベントがあり、マーケティングヘッドのGaryと話をする機会をすぐに持てました。Gary自身がHKUSTの卒業生であり、とても魅力的な人物ですが、その中でGaryが言っていた「HKUSTはAsia Focusだ。東南アジアにとっても重要な中国を押さえつつ、中国以外のアジア各国にもアドレスしている」という言葉が大変印象的で、自分の志向と完全にマッチしていました。以来、IESEとHKUSTのいずれかに進学出来たらよいなと考えて準備を進めました。

 

出願スケジュール

2015年6月                   社費選考に通る

2015年6月~10月        非常に忙しく勉強が進まず、受験計画のみを検討

2015年10月~翌7月   TOEFL対策、初回78点ののち計8回上下動しようやく100点

2016年5月~9月         後半から並行してGMAT対策、初回で660点出たので終了

2016年9月~翌2月     2nd Roundに向けエッセイ・インタビュー準備を進め終了

 

結果的にIESEもHKUSTも同じぐらいの志望度のまま選考が進み、「どちらか落ちれば選びやすいのにな」と思っていたところ両方受かり、悩みが深まりました。バルセロナで行われた最終選考(Assessment Day)に参加しては「IESEにしよう」と思い、HKUSTの雄大なキャンパスを訪問しては「HKUSTにしよう」と揺れていましたが、両校のアラムナイも含め多くの方にお会いし、自分の志向を深く考え詰めた結果、「アジアでエッジを立てていきたい」という結論に至ったことからHKUSTを選びました。

 

TOEFL・GMAT対策

IESEもHKUSTも、TOEFLは100点、GMATは650点ほどあれば十分そうだったので、それを目標にし、ギリギリで達成した点では効率がよかったと思いますが、どちらも月並みな点数ですので詳細は高得点の人々に譲り、お金をかけて参加したものだけ紹介します。

 

TOEFL

・Web TOEFL

⇒受験初期にリスニングだけとりましたが、最後までやりませんでした。Andy先生の勉強会に参加して、無料の中国版TPOを使って勉強する方が効率がよいと思います

 

・Andy先生の勉強会

⇒TOEFL攻略の全体戦略や細かいTipsを丸一日かけて教えてくれます。中国版のTOEFL TPOの使い方等も教えてくれるので、受験初期に行くと非常にコスパがよいです

 

・Michaelの添削

⇒格安で質の高いライティング添削をしてくれます。こちらもAndy先生の紹介でした

 

・四軒家忍先生の個別カウンセリング

⇒スピーキングに関して非常にためになるお話を頂戴できました

 

GMAT(Verbal34、Math48、Total660)

・YES

⇒SC対策で通いました。知的刺激が非常に強い授業で、また通いたいぐらいです

 

・マスアカ(テキスト)

⇒数学は得意なので50~51を狙いたかったのですが、結局やり通す時間がなく、本番も不本意な結果となりました

 

エッセイ・推薦状の準備

エッセイ以降の準備は会社の先輩が多く使っていたReve Consultingにお願いしました。コスパが良い割に非常に充実した指導を親身に行って下さり、お勧めできます。推薦状は自分とReveで書き上げたものを上司2人に確認して頂き、提出しました。

 

インタビューの準備

Reveが数回模擬面接をしてくれた他、GMAT終了後はちょくちょくレアジョブで面接形式のレッスンを受けていました。

 

最後に

MBA留学に求めるものは本当に人それぞれだと思います。自分はなぜMBA留学に行きたいのか(Why MBA)、そしてなぜこの学校を志望するのか(Why this school)は、エッセイ準備という表層的なタスクに留まらない、本質的な問いだと思います。

 

まだ正しかったかはわかりませんが、私はこの点において、散々悩みぬいた上で自分が納得できる答えとしてHKUST進学にたどり着けたことに大変満足しています。一度は諦めていたMBA留学を、このような形で実現できた幸運を最大限活かし、後悔のない留学生活にしたいと考えています。この体験記が、これからHKUSTへの入学を検討される方への一助となれば幸いです。

タイ~ラオス旅行記3

(Facebookからの転載)

 

今日は思いつきでツアーに申し込み、滝に行った。石灰岩がどうのこうので青く見えるらしく、とても綺麗だった。滝に打たれる爽快感もハンパなくて、間違いなく来てよかったと思う。

 

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さて、帰りは14:30にバスに集合とのことだったので集まったはいいけれど、ドライバーが全然来ない。15分ぐらいして、他の乗客もざわついてきたところ、他のバスの運転手と思しき青年が僕に話しかけてきた。

 

運: このバスの運転手の名前はトゥイミアナムだ、きっとあっちの方でビリヤードをやってるかビールを飲んでるから、トゥイミアナーム!って言いながらあそこらへんを歩き回るといい

し: 急いでないからいいよ

運: いいから行って来いよ。名前は覚えたか?トゥイミアナムだ!言ってみな

し: トゥイミアナム

運: ヒャーッ。そうそう、行って来い!

 

なんで僕が行かなくてはいけないんだろうと思ったけど、他の乗客の顔を見たら、何してんだ早く行って来いよって顔をしている。このように無責任で他責的なスタイルを取る人は、彼ら自身の成長のみならず、ひいては人類社会の成長を実に緩やかなものにしていることに責任の一端を感じて欲しい。そういうわけで、一流のオーナーシップを見せつけてやるべく、行くことにした。駐車場から少し離れた売店が集まっているような場所に着くと、確かにビリヤード台があって10人がかりで囲んでいる。

 

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し: トゥイミアナーム!(運転手の顔は覚えていない)

 

ビリヤードを囲んでいた集団に、なぜか爆笑が起こる。奥の方でビリヤードをやっていた、トゥイミアナムっぽいやつがキューを握ったまま飛び出てきた。

 

ト: あと2分、いや5分で行く

し: マジで?急いでよトゥイミアナム

 

また爆笑が起こる。トゥイミアナムと言うと、爆笑が起こるみたいだ。そんなわけで先に駐車場に戻ると、さっきの運転手が嬉しそうに話しかけてくる。

 

運: トゥイミアナムはいた?

し: トゥイミアナムいたよ

運: ヒャーッヒャーッ。いい名前だ、ヒャーッ

 

このあたりから、トゥイミアナムというのは彼の本当の名前じゃないんだろうなと思った。きっと、何かラオス語で卑猥な言葉か何かで、○○野郎とか○○が大好きな野郎とか、そんな意味に違いない。

 

ようやくトゥイミアナムがバスに戻ってきて、乗客全員乗り込んだ。いざ出発という段になったが、さっきの運転手はまだ僕の席の横の窓を叩きながら、セイ・ヒズ・ネイム・アゲーン!とか言ってやがる。何がアゲーンだ、馬鹿野郎。

 

バスは走り出したが、何だか怒りがこみ上げてきた。こっちが言葉をわからないのをいいことに、大衆の面前で○○野郎だなんて卑猥な言葉を叫ばせるとは、下劣な行為だ。しかし、僕は自分が世界を股にかけるべき誇り高いジャパニーズサラリーマンであることを思い出し、怒りを鎮めた。なるほど彼がしたことは確かに下劣かもしれないが、言葉のわからない外国人に卑猥な言葉をしゃべらせるのは確かに楽しい。そういうことが良くないことだと気づくためには、高度な国際感覚が必要なのだ。

 

バスがルアンパバーンの街まで戻った頃、僕は運転手に聞いてみた。

 

し: トゥイミアナムというのは、あなたの本当の名前じゃないんでしょう?

ト: ・・・違うよ

し: どういう意味なの?

ト: 王様だよ

 

思ったほど卑猥な言葉ではなかった。いつも自由に行動して乗客を待たせたりするから、そう呼ばれたりしてるのだろうか。しかし、卑猥な言葉でないとすると、先ほど感じた怒りの行き場がなくなったように思えてきて、僕は少し恥じ入った。いやしかし、トゥイミアナムはああ言ったものの、本当はただの王様という意味じゃないのかもしれない。◯◯王とか、◯◯が大好きな王様とか、そういうやつかもしれない。

 

そう思うとまた怒りがこみ上げてきた。そうだ、こういう怒りを大事に、世界と戦わなくてはいけないのだという気がしてきた。そうして、僕は怒りの火が消えないように気をつけながらホテルに戻り、一心不乱にiPhoneのキーボードを叩いている。

タイ~ラオス旅行記2

(Facebookからの転載)2日目@タイ~ラオス


7時起きで国境を越えて、スローボートに乗り込んだ。結論から言うと、コミュ障にはスローボートはきつい。明日は誰にも話しかけられないようにスピードボートに乗ろうと思う。

 

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隣に座ったオーストリア女性: ボートの中でも勉強してるの?日本人が勤勉というのは本当ね
し: 留学したいから
オ: "げっ歯目"なんて単語聞いたこともない
し: ネズミとか、そういう動物(しゃべってる英語のレベルと勉強してる英単語のレベルがバランスしてないなと思われてるかな)
オ: 仕事は何してるの?
し: コンサルタント。東京にあるドイツの会社で働いてる(その割にはヨーロッパのことあまり知らないなと思われてるんだろうな)
オ: そうなんだ!ドイツは行ったことある?
し: いや、ない(なんでドイツの会社で働いてるのにドイツに行ったことないんだろうと思われてるかな)
オ: そうなんだ・・・。ラオスでは何をするの?
し: (今のところ特に予定はないから、なんて答えたらよいやら・・・)この本(TOEFL3800)を読む
オ: それは・・・タフね・・・
し: ・・・(そっと目線を本に落とす)
オ: ・・・

 

新たに隣に来たアメリカ人: やあ!昔日本語を勉強しようと思ったけど漢字が難しいから諦めたよ。俺の名前を漢字で書いてみてくれるかい?ウォルターだ
し: (魚留太と書く)
ウ: おお!どういう意味?
し: Fish-keeping man
ウ: はっはっは!
し: ・・・
ウ: ・・・

 

明日はスピードボートに乗ろうと思う。

タイ~ラオス旅行記1

(Facebookからの転載)備忘までにタイ初日。

 

AM5:00にスワンナプーム空港着、ドンムアン空港にバスで移動後、AM11:25まで時間を潰してチェンライ行きに乗る。

 

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PM1:00に到着後、チェンコーン行きのバスがPM4:00まで出ないと言うので、バンコク人のおばさん達に誘われて街中のショッピングモールまで行く。Fuji、やよい軒を始め、日系非日系の日本食屋が4軒ぐらい入ってて、全レストランの20%ぐらいは占めてた。非日系日本食チェーンの雄、Fujiのカツ丼食べたけど、変なローカライズもなく、普通にかつやチェーンレベルはあると思った(キムチがついてたけど)。噂に聞いてた甘い緑茶は想像通りの味。モールの中で日本祭をやってて、学生が一休さんを朗読発表してた。刀のごちそう、という話だったけど、現代の日常会話では使わない古めかしい単語がふんだんに用いられていて、学習用としては非常にどうかと思った。

 

さて、PM4:00にバスが出発後、以下のようなやり取りを経て、よくわからないホテルに泊まることになった。

し: 国境を今日中に渡りたいから、橋まで連れていって欲しい

ドライバー: もう遅いから無理だ

し: でも航空会社からもらった旅程表(バス付きのプランだった)では、最初に橋に行って、そのあとホテルに行く、降りたい場所はドライバーと相談のことと書いてあるけど

ド: 最初に橋にいくというのは、ただ景色を見るだけだから降ろす予定なんてない。向こう岸に渡ってもいいホテルはないから今日はタイに泊まったほうがいい

タイ人の全乗客: そうだそうだ、これはお前のために言ってるんだ

し: わかりました、ホテルに行きます。でも、ホテルとってないけど

ド: 大丈夫!

 

ということで2時間ばかり走った後、僕だけどこかのホテルの前で降ろされる。みんなバスの中から、ユーキャンステイヒアとひたすら連呼しながらどこかに走り去ってしまった。みんなはどこに行ったんだろう?

 

ホテルはまだ出来上がっていないらしく、スペシャルプライスで約3,500円とのこと。安いのか高いのか判断がつかないけど、ホテルのグレードからすればまあまあだと思う。

 

かくして納得いかないままに泊まることになったけど、作りかけとはいえホテルの内装は綺麗だし、メコン川の対岸にはラオスの灯りも見えるしで、結構な旅情があって満足している。

 

明日は国境を越えたのち、2日間かけてボートでルアンパバーンに向かいます!

ハワイ長期滞在9日目

(Facebookからの転載)

ハワイ9日目−モヤさまのヌシカンさんに会おうと出雲大社を目指し、チャイナタウンの北側、川沿いの道に足を踏み入れた。

 

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疲れたので一休みというよりも、日常的な生活者といった風情で道端に座り込んでいる人々が多いことに気づき、少しまずいことになったと思ったが矢先、20mほど先から生活者の一人がこちらの方に「Hey!」と叫んでくる。ここ数年は服も体も洗っていないといった風体だ。まさか僕に向けてではないでしょうと自分に言い聞かせつつ知らぬふりをしたところ、「Hey, skate board!」と再び叫ぶので、どうやら僕に向けて語りかけているのだと確信した。つい先程乗れもしないのに買ったスケボーを小脇に抱えていたからである。

 

気づいてからの行動は早く、0.1秒後には全力で逃げ出したのだが、「Skate boaaaaard!!」と絶叫し追ってくる。こんな恐怖は久しぶりだ。バック・トゥ・ザ・フューチャーのマーティならスケボーに乗って逃げるんだろうなと思ったが、乗れもしない僕にとってはまさに無用の長物だ。なんでこんなの持ってるのだろう?と心の底から思った。

 

ようやくのことで振り切り、もう大丈夫だろうと休んでいたら「そのスケボーどこで買ったの?」とか声をかけてくる野郎がいる。もう許してくれ、スケボーのことは放っておいてくれ。

 

かくしていつもの通り、ホテルでおとなしくインターネットサーフィンに打ち込んでいる。傍らのスケボーに時折目をやり、さてどこに捨てたものかと思案しながら。

プレッシャー管理のセオリー

僕はたぶん生来プレッシャーに弱い気質で、必要以上に気負ってしまうところがあります。 

なので仕事でのプレッシャーに本当に押しつぶされそうになっていた時期があり、 心ない同期からは「お前M&A向いてねえよ」とか言われたりしてたのですが、 一年前会社で強制的に「メンタルタフネス研修」というのを受け、大分改善されました。以下の本を書いた高杉尚孝さんという方の研修です。 

 

実践・プレッシャー管理のセオリー ~ビジネスパーソン必修 メンタル・タフネス強化のセルフ・コーチング術

実践・プレッシャー管理のセオリー ~ビジネスパーソン必修 メンタル・タフネス強化のセルフ・コーチング術

 

 
このセミナーで繰り返し述べられていたことは以下の2つです。 

1. 世の中には、「○○せねばならない」ということは、絶対に、何一つない 
⇒ねばならない、と通常思っていることは全て「できた方が望ましい」というだけであって、本当に「ねばならない」ことは絶対に存在しない。 「法律は守らねばならないんじゃないスか」と誰かが質問してたけど、「そんなことはなくて、守った方が望ましいだけです」と言いきってましたからね。 

2. 「ねばならない」と思っていることが実際には出来なくても、絶対に死なない
⇒あくまで「できた方が望ましい」だけなので、死なない。死ななければ人間どうにでもなるし、生きているだけで幸せだからとにかく大丈夫。 

もちろん屁理屈で考えれば「達成しなきゃ殺されるミッションがあったらどうすんだ」とかはあるんですけど、普通の仕事上でそんなプレッシャーがかかることはないと思います。

やり方としては、「ねばならない」と思ってプレッシャーに感じていることを、「どうしてねばならないんだ?できなかったら死ぬのか?」と突き詰めて考えていって、結局最後は「死なない。だから大丈夫だ!」という結論で論駁し安心するというものです。


シンプルすぎて、「あのオッサン、めちゃくちゃ単純なことを連呼してるだけじゃん」という否定的な感想が多かったような気がするのだけど、僕はすごく影響を受けました。 

オフィスの1個下の後輩にも必ず受けた方がいいよと薦めたところ、「僕プレッシャーって感じたことないんスよね・・・」と真顔で言われました。 そういうのって、本当に才能だと思います。だけど、努力して身につけることができる才能もあるのだなあ、とも思った次第です。 

興味がある人は是非本を読んでみてください。