香港MBA留学記

香港科技大学MBA留学で経験したこと、考えたこと

私の就活不採用体験記

人々の仕事へのモチベーションには様々なものがある。僕にとって金銭的な成功というものがその中の一つにあるとすれば、その原点は、就職活動で通い詰めた六本木ヒルズをエレベーターで上がっていくときのあの気持ちに集約されているような気がする。

 

f:id:shingox13s:20180304180702j:plain

 

就活が解禁になったらしい。今はどういうルールなのかよく知らないけど、10年以上も前に自分も就活をしたことを思い出す。特に、最終的にはご縁のなかった某外資系証券会社の選考のことは、いま思い出しても笑ってしまう。でも、とてもわくわくする経験だったし、色んなことを知ることができた。

 

社会人になってから数年間の自分の無能ぶりを思い返すに、間違ってオファーをもらわなくて本当によかった、ということもある。瞬速でクビになっていたことは間違いない。でも、持てる力、もしくは持てる以上の力を出してソーシャルラダーを登ろうとチャレンジしたのはあれが最初の経験だっただろう。無茶苦茶なやり方であっても。

大学3年の秋、選考参加

今でもそういう傾向があると思うけど、東京の片田舎に生息している一橋大学の学生は全般的に世の中の流れに疎い。一部、キャリアデザイン委員会というパーティが好きそうな人達が集まっているサークルの人たちは外資系の会社を受けるなどしていたけど、僕が属していた体育会だと、セコセコと就職活動をするのはカッコ悪い、放っておいても重厚長大メガバン商社の内定は来る、鷹揚に構えよ、なんなら留年・就職浪人してなんぼといった雰囲気すらあった。

 

僕は高校生の頃からウォールストリート投資銀行残酷日記―サルになれなかった僕たちを読むぐらいませていたし、そういう昭和な雰囲気があまり好きでなかったので、自分の就活はしっかりやろうという気概に満ちていた。

 

しかし、出遅れた。気がついた時には既にいくつかの外資系証券しか応募できなくなっていた。しかも殆どは何かしらを英語で書いてエントリーすることが求められる。そんな時間はなく、結局日本語で提出が可能だった六本木ヒルズの某社にだけエントリーした。大幅にハンデを背負った感があったが、時はM&Aブーム真っ盛り。僕は何としても一本釣りでこの証券会社のオファーをとってやろうと意気込んでいた。

絶対にポテ採されてやる

たしか、まずはグループディスカッションをして、その後各部署の選考が始まっていくことになった。希望部署に印をつけて提出するのだが、僕はバックオフィスまで含めて全部門に印をつけた気がする。結果、確かプライマリーマーケットからはIBD・戦略投資部・マーチャントバンキング部、セカンダリーマーケットからは日本株トレーダー・債券セールス・コモディティトレーダー(だったかな?)の計6つの部門から面接の案内が来た。

 

セカンダリーの面接はどこも一回で落ちた。しかしIBDの面接はトントン拍子に進み、確か3回ほどの面接でインターンに参加することが決まった。

 

当初よくわかっていなかったのは、戦略投資部(ASSG)とマーチャントバンキング部(REPIA)である。この部門は希望部署を選ぶ一覧にも名前が載っておらず、当然印をつけた記憶もない。面接の初日に面接官をしてくれた人たちは、面接後に自分たちは「リクルーター」だと名乗った。

 

彼らが話してくれたところから理解したのは、この二つの部門はどちらもPI(プリンシパル・インベストメント)といって、証券会社の自己勘定で投資をする部署であるということ。PIは業界でもとても人気があり、IBDからも行きたがっている人は多いということ。新卒は通常採らないのだが、今年は2人を採ることが既に決まっており、3人目を採るかどうかをいま検討していること。

 

これはものすごいチャンスだと思った。そして、たぶん素の自分の実力で挑んだら絶対にオファーをもらえそうにないことも分かった。これは、最大限に自分の潜在能力を大きく見せて、ポテンシャル採用を狙うしかない。

 

絶対にポテ採されてやる・・・僕は意気込んだ。

 

めちゃくちゃなのにトントン進む選考

如何せん実力も準備も不足している中で無理に自分を大きく見せるしかなく、その結果いくつかの珍面接が繰り広げられた。

六本木ヒルズっていくらすると思う?

計十数回に及ぶ面接戦の序盤、入って2年目ぐらいの方との面接。雑談のような話の流れで、急に「六本木ヒルズっていくらすると思う?」と聞かれた。これは今にして思えばいわゆるケース面接の一種だったのだが、そんなものに接したことがなかった自分は、「え…わかりません」と返した。「考えてみて」「うーん…100億円ぐらいですかね?」「なんで?」「いや、何となくですが…」。

 

「あのねぇ、こういうのはやり方があるの。1フロアに入っているテナントはどのぐらい、そのテナントは月にいくら家賃を払う、この物件の利回りはどのぐらいだと考えられる、ってステップを踏んで考えるんだよ」。なるほど、そうか。知らねーよ。

 

でも落ち込んだ感じを見せたらダメな感じがしたので、殊更に目をキラキラさせて「そうなんですね!すごく面白いですね!」と興奮を装って応答した。なんだかそうすると、就活慣れはしてないんだけど知的好奇心がすごい天才肌の人に見える可能性があるような、そんな気がした。

 

それが功を奏したのかわからないが、その面接は突破した。

※ひょっとすると、最初のリクルーター面接を通った人はとりあえず部署の人全員に合わせるという方針だったのかもしれない

君ぐらいのやつこの会社には一杯いるんだよ! 

面接の中盤戦、僕は鉄板の自己紹介を毎回展開するようになっていた。「僕は頭も物凄くいいですし、体育会のアイスホッケー部で夜中に練習して昼間も普通に大学に行ってますので、そうやって朝から晩まで働く体力も活かせば御社で活躍できると思います」。この無茶苦茶なテンプレを、ものすごい真顔で述べる。これも、「相当トガらないとこの部署は絶対に受からない」という考察あっての作戦だが、実際に毎回悪くない感触が得られていた。

 

ところが一回、マジギレされた。

「頭が良いって君、一体何を根拠にそんなこと言ってるんだよ!?」

「(やばい…)えっと、〇〇とか〇〇でして(←精一杯の論拠)」

「あのねぇ、君ぐらい頭がいいやつなんて、この会社には一杯いるんだよ!!」

 

「いるんだよ!」ぐらいのところで机を思いっきり引っぱたかれた。手の端にボールペンの端があたり、ボールペンが回転しながら宙に舞って、落ちた。しーん。

 

「すみませんでした。そんなに頭が良い方がたくさんいらっしゃる会社で働きたいと本当に思います」。さすがにこれは平謝りするしかなかった。こっちが悪い。ゲザる勢いで謝った。

 

この面接もなぜか通った。

鳴らない電話

 そうやって十何回かの面接をこなしていたある日、偉い方との面接があった。あまり感触が良くなかったな…と思っていると、帰る前にリクルーターの方と話をする席を設けて頂いた。

 

「まあ、最初はIBDから入るってのもいいと思うよ。足腰が身につくし。IBD結構進んでるんでしょ?」

 

IBDは先日にインターンが終わり、スーパーデイという最終面接に呼ばれるかの結果待ちだった。でも僕は既に、PIに入りたいと思っていた。このタイミングでこんなことを言われるのは、明らかに良くないサインだった。

 

IBDのインターンの翌日、担当の方から「是非最終面接に来て頂きたいと思っているんですが、まだ確定ではありません。別途連絡します。それまでに、もし他の会社につかまって身動きが取れなくなったりしたら、私の携帯に電話をください」と言われていた。

 

電話が来るはずの日、僕は彼女とディズニーランドに行っていた。気が気でなく、何度も携帯を確認したけれど、着信はなかった。夜の23時まで待って、もうダメだったんだろうと理解しつつもその人の携帯に電話をかけたけど出ない。ここまで来たらいっそ、と会社のデスクに電話をかけたら、「もう失礼しております」と言われた。

 

後から聞いたら、スーパーデイに呼ばれる人は、インターン翌日時点で既に呼ばれていたらしい。インターンは第一群と第二群がいたので、僕は第二群の選考結果が出るまでの補欠だったのだろう。それにしても、あんなにたくさん六本木ヒルズに通い詰めたのに、全てがあっけなく終わってしまった。一時は国立の片田舎から六本木ヒルズに到る道が見えていたのに、全部ゼロからやり直しになった。

 

冒頭に述べた通り、今にして思うと、どちらの部署からもオファーをもらえず本当に良かったと思う。社会人としての自分はスロースターターすぎて、絶対にうまくいかなかったはずだ。それでも、六本木ヒルズの高層階に上がっていく時のあの気持ち、絶対にポテ採されてやるという意気込みと、本当にそれがかなうかもしれないというドキドキは、今でも忘れずに覚えている。そして、ああいう社会の階段を上る時のわくわく感は、現在に至るまでの自分の仕事へのモチベーションに何らか寄与しているはずなのだ。

 

本当に実力をつけるための研鑽ではなく、無い実力があるかのように見せる戦い。当時の努力は健全とは言えないものだったけれど、僕にとっては原体験とも言えるような、大切な思い出となっている。