香港MBA留学記

香港科技大学MBA留学で経験したこと、考えたこと

アジアMBAの旅の終わり(その2)

前回まで: とにかく日本から遠くに行かなければという焦燥にかられた僕は、すぐさま社内の留学制度に応募した)

メール一本を送っただけの社内の選考は数日後にあっさり通った。事前に予測はついていたが、この年に応募したのは僕だけだったので通らないわけがなかった。

そもそも外資系で留学制度がある会社も珍しいかもしれないが、応募要件を満たすシニアコンサルタント以上ともなると今更MBAを選択しない人が殆どで、応募者が一人もいない年も多い。それでも再入社後2年月割償却という比較的軽い義務に対し、数百万円の補助(退職扱いになるので給料はなし)をもらえるのは、行きたい人にとってはありがたい制度だ。

2年ほど会社を不在にすると、一つ下のポジションにいるぐらいの人にはガンガン出世でも抜かされる。MBAを取って帰ってきても、それ自体が評価されることもない。でも、そんなことはもちろんどうでもよかった。

 

 

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さて、思い立ったきっかけこそモラトリアム的だったかもしれないが、いざ行くとなればいくらでも動機があった。その中でも特に、ガチの国際経験を積みたいという気持ちは大きかった。英語を喋る環境に身を置きたいというのとは少し違う。何しろ外資系に勤めていたし、証券会社時代にもいくつかクロスボーダー案件に携わる機会はあったが、簡単に言えば国籍・バックグラウンドが入り乱れた環境下で世界の縮図を感じたいというのが近いと思う。こういう環境こそ、実はMBAならではと思う。

即ち、国際的多様性を学校選びの主軸に据えることにした。加えて、以下の軸から学校を探した。
・2年制であること(1年以上どこかに逃げる必要を感じていた)
・General managementに重きを置いていること
・トップスクールであること

すると、バルセロナのIESEが第一に挙がった。素晴らしい学校だと思った。仕事も忙しいのでIESEのみ受けようと準備を進めていたが、どうして香港科技大学(HKUST)に行くことになったかは受験体験記を見て頂きたい。当初全く予期していなかったことだが、結果としてはアジア、特に中国に大きく舵を切ることになった。IESEに行っていたら、全く異なる経験をすることになっていただろうし、現時点での人格や考え等も違うものになっていたかもしれない。本当に大きな決断だった。

 

そういえばまだIESE専願だった時の話だが、受験の最中にこんなことがあった。乏しい留学資金の足しになればとロータリー奨学金の選考に参加し、そこでは留学の動機と志望校などを語ることを求められた。その帰りのエレベーターの中で、某商社と某省庁で経験を積んだらしい応募者の一人にこう話しかけられたのだ。

「IESE受けるんですね。いいですよね、欧州はスコアの要件が低くて!米国は本当大変ですよ」

…なんだこいつ?

気が短い方なので、ガツっといってやろうかとも思ったが踏みとどまった。いや、発言を冷静にフェアに受け止めれば間違ったことは言ってないんだが、こいつの語調、表情…

 

ム     カ   つ   く   ぜ!!

 

いや、やっぱりこいつはどこかバカにしている。いや、少なくとも敬意に欠けている。こいつは何歳になっても偏差値的な物差しでしか世界を見れないのか?自慢じゃないが、こっちはお勉強に関しては結構自信がある。必要がなかったのでスコアこそso soだが、お前ごときにナメられる筋合いはねえ。

自分は、大学選びに際しても偏差値に拘らずに選択をしてきたという自負がある。ましてやビジネススクールなんて、ランキング以外に様々な要素がある。MBAがどのように役に立ち得るかが人によって違うが故に、どの要素をどのように重みづけるかは人によって違う(そもそもMBAランキングは難易度ランキングではないのだが、大学受験の偏差値思考に囚われた人にはこの点がいつまでも理解できないようである)。逆にいえば、ランキングand/or難易度が非常に重要となり得る将来志向を持った人もいるはずで、それももちろんおかしなことではないのだが、彼のような物言いはあまりにも偏狭だ。

「さっきのあいつ、何だったんですか。めちゃムカつきましたね」

選考の中で、たまたま極めて近い共通の知人がいることに気づき親しくなった応募者と一緒に帰る途中、こう言われた。単純なのでもう忘れかけていたのだが、一気に怒りが蘇ってきた。

「いや本当ですよ!あの●●、マジで●●なんじゃねーの。●●してえ」

「いや僕もムカついてたんですよ!あいつずっと●●みたいな感じだったじゃないですか。マジで●●だって」

僕らはワーキャー口汚く愚痴りあった。

後日、選考の結果が送られてきた。驚くべきことに、こんなに詳細なグラフまでついていた。矢印の位置が僕である。

 

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惨敗すぎて笑えた。帰り道一緒だった彼に連絡を取ったところ、彼もダメだったという。僕はふと思い出し、彼にこう聞いた。

「アイツ…受かりましたかね」

「どうでしょう…でも、面接官の評価高そうでしたよね。受かったかも」

「だとすると…やるせないですね」

 

彼は留学資金のアテがなくなったのでもう留学は諦めるという。お互いの健闘を祈って電話を切った。

 

僕はもはや怒りですらなくなった何らかの気持ちが胸に残っているのを感じながら、こうなったら何が何でも素晴らしい留学生活を送らなくちゃなあ、という気持ちを強くしていた。何が「こうなったら」なのかはよくわからなかったのだけれど。

 

(なかなか始まらないけどその3へ)