(前回の続き)
前日に汪哥を含め情報収集したところによれば、EMBAの圧勝の秘訣は概ね以下のようだった。
- 基本的に一か所ある休憩地点以外では止まらない
- 休憩地点でも5~10分ほどしか止まらない
- 隊列を崩さないで詰めて歩く
- あとはとにかく根性、勝利への意欲が違う
汪哥は特に四つ目を強調していたわけだ。
僕らは基本的にこれを模倣し、若さの差分で競り勝つ方針を立てた。
レース再開
苦戦
二日目は一日目とは比べ物にならない辛さだった。普段割と鍛えているはずの自分でも筋肉痛を感じ、歩き方のフォームが崩れたせいか、両膝に大きな痛みを感じた。他のメンバーの中には、もっと辛い人もいただろう。
汪哥の脱落
休憩所がある中間地点に着く前に、後続がついてきていないことに気づき振り返ると、汪哥の心拍数をドクターが測っていた。しばらくすると、 ドクターに連れられて汪哥が救護隊の車に入っていった。
前にいたメンバーに伝えると、「それはいいニュースだ」と言った。ひどいこと言うなあと思いつつも、本当にその通りだと思った。昨日偉そうなことを言っていたくせに早々と脱落しやがって。ペナルティは痛いけど、年の近いメンバーだけでやれた方が楽だし楽しい。
引き続き苦戦
休憩所では10分しか止まらない決まりだったが、Saraの靴擦れが激しいらしく、応急処置に時間がかかり10分が迫るころにまだ出発できなそうだった。「もうすぐ10分だぞ!」そう何人かが号令をかけていると、SaraとNewが涙を流しながら抗議した。
「順位を上げたいのは同じ気持ちだけど、そうやってプレッシャーをかけて何になる!」
いずれにせよ、どこかのタイミングで歩き出すしかなかった。10分を少し過ぎたところで、また出発した。
最終的にはSaraを除く女性二名がほぼ歩けなくなり、男性メンバーが代わる代わる両脇から支え、何とか歩き通した。 それでもいくつかのチームを追い抜くことができた。
汪哥がどこに行ったかなんてことはすっかり忘れていた。
キャンプで
夕食後に行われた全体の振り返りの中で、教授はMBAチームが昨日に比べて善戦したことをいくつかのリーダーシップに関するプリンシプルと照らしながら褒め称えた。すると、昨日・本日のトップチームのリーダーが立ち上がって質問をした。
「あなたはMBAを褒めますが、そんなに素晴らしいし若いのにどうして結果がついてこないんですか」
なんて嫌なことを言う野郎だ・・・とMBAが静まり返っていると、なんと汪哥が立ち上がり話し始めた。
「そんなふうに彼らを攻撃することはない。彼らに足りないのは知識と経験だけだ。いいチームを作るためということもそうだし、ウォーキングのスペシャリストもいない。私は、自分の会社を経営する中でいつも彼らのような若い人達とのコミュニケーションに課題を抱えていた。何を考えているかわからないし、信用できないと思っていた。今日私は脱落した後、ずっと並走車の中から彼らを見ていて、彼らが真剣に勝ちたいと思っていることを知った。また、彼らは昨日夜遅くまで議論をしていた。EMBAのどんな小さな秘密でも知りたがった。今回、MBAチームに参加することができてよかったと思う。あなたも彼らのことをもっと知るべきだ」
MBAに対して否定的だと思っていた汪哥が立ち上がったことに驚きを隠せなかった。今の今の瞬間まで、「厳しいおっさんが途中で脱落した」としか思っていなかった自分を恥じた。周りを見ると、何人かが泣いていた。
テントに戻ると汪哥は僕らにこう言った。「今日は迷惑をかけて本当に申し訳なかった。明日自分は、脱落者だけを集めた黑马队(黒馬隊、ダークホースチーム)で歩く。ここで最後まで歩けば、君らのチームのペナルティにはならないらしい。もう歩けなくなってもいい覚悟で歩くつもりだ」
リーダーシップのはじめ方
おそらくどのようなテキストを開いても、リーダーシップはまずは「自分を知ること」、そして次に「他人を知ること」から始まると書いてある。
できているつもりだった。プロジェクトマネージャーとして、メンバーの成長や働く意味にも気を配っているリーダーのつもりだった。MBA以降、更に高いレベルでそれができるだろうとも思っていた。
しかし、上司に対してはどうだっただろうか。あるいは、新人に対しては?自分は、同じようにハードワークを厭わない体育会的な男性組織の中で、年が近い男性という、一番自分がコミュニケーションしやすい相手にリーダー役がうまくできているつもりになっていただけではなかったか。「この人はきっとこういう人だろう」と、仮説という聞こえのよい概念に甘えて、無用な仮定を勝手に置き、ゼロベースで接することを怠っていなかっただろうか。その仮定は、自分と近しい均一的な集団相手にのみ通用していたものではなかったか。
MBAプログラムはダイバーシティ経験がその重要な役割を占める。しかしここでのダイバーシティとは、主に国籍のことを意味する。自分にとって、ジェネレーションギャップは国籍の差異を超えるよりも難しい問題だったのではないだろうか。
「上司をうまく使ってPJを成功させなければいけない」「上司の無理な要求からチームを守らなくてはいけない」等々、上司のことを交渉相手のようなものとして見ていたのではないか。チームの一員として、一人の人間としての彼らを知るための努力をしていたか。彼らが人として求めていることが何かを考えようとしていただろうか。もちろん上司に限った話ではない。自分と同じような、自分が付き合いたいと思う人達のこと以外を、人間としてチームとして接するために、彼らを本当に理解する努力を怠っていた。
中国は素晴らしい地獄
三日目ももちろん色々あったが、多くは書かない。僕らはその後誰も脱落せずに歩き続け、全体で7位に入った。最下位は黒馬隊だったが、彼らは全員が足を引きずりながらも歩ききった。
全てが終わった後のパーティで、汪哥が足を引きずりながらビール瓶を抱え僕らのテーブルに来た。そして袋から両手一杯に何かを取り出しこう言った。「最終日、ずっと君たちのことを考えながら歩いていた。歩きながら、綺麗な石を集めていた。この石を見るたびに、この砂漠であったことを思い出して欲しい」
こうも言った。「人間の価値は、いくら稼いだかでは決まらない。社会に対してどれだけの貢献をするかだ。私がそうであったように、君たちもこの砂漠での学びがあったはずだ。これから始まるキャリアの中で、それを活かせるはずだ。どうか社会に貢献していって欲しい」
終わりに
Maxがこう言っていた。「中国におけるジェネレーションギャップは恐らく他の国よりも大きい。汪哥の年齢の人が自分の胸の内を吐露することは本当に珍しい。彼らには面子がある。僕らも汪哥を理解する努力を怠っていたし、汪哥もそうだったよな。今回参加出来て本当によかったよ」
軽い気持ちで参加したクラスだったが、改めて大きな学びがあった。中国という国で参加することができたのもよかった。
砂漠の翌日の振り返りで教授が言っていたことを思い出す。「外国に暮らすのはまるで天国、街は綺麗で空気はおいしい。それに比べたら中国は地獄。でも、素晴らしい地獄だ。退屈したくない人にはいいでしょうね」
上海も残り2ヶ月だ。