香港MBA留学後記

留学、その後

アジアMBAの旅の終わり(その3)

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前回まで: 米国クソ野郎との対面を経て、僕は最高の留学にしようという気持ちを強くしていた)

いよいよ僕のMBAの話だ。

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2017年6月〜7月 北京

なぜ香港MBAの旅を北京から始めたか。自分の興味はどちらかというと東南アジア方面にあったのだが、広くアジアを考える上で今後中国との関わりは避けられないであろうため、食わず嫌いせずにちょっと訪れてみるか、ぐらいの軽い気持ちでしかなかったのが正直なところである。

 

かつて上海企業の買収案件に2件ほど携わった際に何度か大陸を訪れたことはあったものの、三国志も読まないし麻雀も打たない僕は中国に対して特にこれといった思いはなかった。それどころか、中国に対して少なからずネガティヴなイメージを持っていたというのが正直なところである。

 

到着と共に中国東方航空にスーツケースを壊された際も、「中国人に負けないように強気で交渉しなければならない」と必要以上に気を張って対応していたし、過去の記事にも書いたように、道案内をしてもらうためにお金を払ったりするなど、今思えば恥ずかしくなる程の偏見を持って大陸に臨んでいた(本当に反省している)。

 

東京で一ヶ月ほど日中ハーフの先生に六本木のガストで発音指導のみしてもらった上で北京で語学学校に入ったわけだが、その時には本気で中国語を身につける気など全くなかった。それが、のちに交換留学先に上海を選ぶまでになったのは、最初に訪れた北京の影響が大きい。変化はMBAが始まる前に既に起き始めていたのである。

 

出発直前はDDプロジェクトの大詰めで、最終報告後に自分の送別会、そして朝まで一睡もせずに荷造りをして出発という有様だったので、激務から解放された最初の地が北京だったという心理的な影響もあるのかもしれない。だとしても、その後のMBA生活、更には今後のキャリアの方向性にまで影響を与えた北京での最初の一ヶ月は忘れ得ないものとなり、結局約一年半後にまた引き寄せられることとなった。

詳しくは「北京の思い出」を参照。

www.hongkongmba.tokyo

2017年7月〜2018年6月   香港

MBAの始まりだ。University of Stress and Tension (UST)とも呼ばれるHKUSTでの生活は、気を抜いているとあっという間に過ぎ去ってしまいそうだった。全てを記すことはできないが、書ける限り書き留めておきたい。

授業

HKUSTはAsia Focusを謳いつつもInternational Standardを志向しているので、ケースの全てがアジアのものというわけではないのだが、それでも自分としては丁度良い比率で中国を中心としたアジアのケースに触れることができた。The Art of WarやUnderstanding Consumer Behavior (in Asia)、Strategic Management in Chinaなどの授業は、USTならではの授業と言えるだろう。

 

一学年約120人で2コホート、約50ヶ国から学生が来ているUSTは、十分に期待した通りの多国籍環境だった。コアの授業を共にしたチームのフランス人A、インド人R、フィリピン人K、中国人Aにも心から感謝したい。特にフランス人Aは、コーズウェイベイでの結婚式にも呼んでもらい、素敵な思い出になった。

 

ケースコンペティション

USTでは4人×10チームに、香港外のビジネススクールが主催するケースコンペに参加する費用を全額付与するプログラムがある。コアチームのフランス人Aとチームを作り参加した。インド人のS、中国人のC。学内選考から始め約3ヶ月ほどずっと顔を突き合わせ、コアチームよりも仲良くなったかもしれない。

 

僕らは学内選考をギリギリに通過し、イリノイ大学のケースコンペに参加した(通過順から好きなコンペを選べる)。結果は惨敗。でも、雪深いシカゴ、イリノイの街を皆で緊張しながら歩いたり、インド人SのブースMBAの友人宅に泊めてもらったり、帰り道運転するフランス人Aが寝ないように大声で話し続けたり、忘れられない経験になった。

 

マッキンゼー出身のProf. Doranに付きっきりでプレゼンの指導などをしてもらったのもいい思い出である。そして、同級生や他校の学生のプレゼンを多く見る中で、プレゼンとの向き合い方が自分の中で変わった。それまで極論すれば「後に形として残る資料こそ至高。正しいことを資料に書きさえすれば、あとは受け手の問題」「プレゼンの巧拙でメッセージ力を上げようとするのはフェアな判断を歪める可能性もあり邪道」ぐらいに思っていたようにも思うが、結局評価するのは受け手側。どんなに美学を語ったところで、上手に伝えられないと損をするのは自分でしかない。そして、リアルな世界では伝え方は時として内容よりも重要だというのが現実なのだ。

 

インターナショナルナイト

詳細は記さないが、ジャパンクラブとして行った二つの出し物のうち、一つで指揮をとらせてもらった。Political correctnessとEntertainmentのバランスを限界まで追求し、メンバーで妥協せずに死力を尽くした結果、会場は沸きに沸いた。騒然とした観客にアンコールを求められ、翌日には撮影された複数の映像が卒業生含めて出回り、半年後のMBAプログラム修了パーティではベストパフォーマンス賞をもらった。

 

終わった直後に駆け寄ってきた人達の言葉も忘れられない。

マーケティングのG「長く見ているがこんなパフォーマンスは初めてだ」

同級生のイギリス人A「お前らは本当にinsaneだ、my favoriteだ」

 

何かを学んだ類のことではないけど、全力で取り組むことで国を越えて皆の心を震わせられたことを、ちょっと誇りに思っている。

 

ジャパントレック

上述のインターナショナルナイト、たこ焼きナイト、居酒屋ナイト、北海道へのスキートレックを経て、全学生のジャパンクラブへの期待はめちゃくちゃに高まっていた。香港に来るような学生だと、特にアジア系では日本には数回行ったことがあるという人も少なくない。そこで当年度のジャパンクラブの活動方針は当初より「Re-discover Japan」として打ち出していたのだが、果たしてどのようなジャパントレックを組めば、日本通の学生と日本初心者の学生の双方が楽しめるのだろうか?日本人間での議論や参加予定者からのヒアリングを通じて企画を詰めて行く段階では、まさに自分自身がRe-discover Japanの作業をしているような心持ちだった。そしてそれは、消費財を中心としたコンサルタントとしてインバウンドや海外展開といったテーマに関心がある自分にとって、得るところが大きかった。

 

いくつかの企業訪問で拙いながら通訳を務めさせて頂いたのも良い経験だった。特に面白法人カヤックへの訪問では収穫が大きかった。詳しくは「何をするかより誰とするか~ジャパントレックを終えて」をご参照頂きたい。

www.hongkongmba.tokyo

 

結局、英日ハーフのジャパンクラブ同期のTが「Let Your Cherry Blossom」と巧妙に題してくれたジャパントレックは、はっきり言って大成功。ただ一点、最終日に訪れる予定だったバーレスクTokyoの予約を僕が一週間間違えて取っており、急遽空いていた系列のバーレスクYavayに皆を押し込むこととなってしまったことを除いて…(この失策はしばらくめちゃくちゃ引きずっていた)。

 

香港

香港は魅力的な街である。

 

 
GDPが深センに抜かれるなど、香港経済は今後どうなるか?というのはちょっと難しいテーマだったりする。しかしそんな話は置いておいて、ある種の人々を惹きつけてやまない街、それが香港なのである。

2018年6月〜7月   バンコク

せっかく「China FocusではなくAsia Focus」の思いを持ってHKUSTを選んだのに、やや中国に偏ったMBA生活になっていた反省から、夏休みにはタイでインターンをすることにした。もっとも、タイインターン記に書いたように、その背景には就活以来ずっと胸のどこかに残っていた気持ちと向かい合いたいという考えもあった。

 

そして、その狙いは大成功だったと言える。障害とかトラウマというほどではないけど、何となく心に残っていた思いから解き放たれたことに加え、多国籍チーム(主にタイ人だけど)のプロフェッショナルの仕事としてプロジェクトマネージャーをこなせたのは大きな自信になった。

 

ンコクは朝起きた瞬間から胸躍る街だ。いつか長く住む機会があればと思う。

 

詳しくは「タイインターン記」を参照。

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2018年8月〜12月   上海

交換留学先はCEIBS(中欧国際工商学院)にした。GPAは約3.7と悪くなかったので大体の学校を選べそうだったが(成績や課外活動の貢献度などで上から順番に選べる)、ここまで来たらもう一度大陸中国に浸かりたかった。

 

CEIBSは、中国の本気を体現したような驚くべき学校である。CEIBS専属の教授もさることながら、米国一流校から招いている教授陣のレベルは正直USTより高いと思う。日本人学生も優秀で、更に殆どが一定以上の中国語を話せ、非常に流暢な人もいる。彼らは「MBA」ではなく「CEIBS」に来ている。覚悟がキマっているのだ。

 

少し話がそれるが、アジアMBAというと、「学費が安い」「入るのが簡単」という触れ込みをするエージェントもおり、受けにくる人達からもそうした「でもしかアジア」の空気を感じることは正直ないとは言えない。しかし、個人的にはそうした方々にはあまり来て頂きたくない。幸いにして、実際に来ている学生ではそのような人には殆ど会わなかったのだけど。

 

香港にいた間は結局殆ど中国語の勉強はしなかったのだが、夏休みの途中から上海にいる間は結構力を入れた。文法書を一冊さらったのち、追加的に覚えた単語は約4,500語。出会う中国人には積極的に話しかけ、中国語に関しては日々成長を実感することができた。

ひょんなことから参加したゴビ砂漠でのリーダーシッププログラムも忘れがたい思い出になると共に、理解していたはずの「ダイバーシティマネジメント」に思わぬ盲点があったことに気づいたのも収穫だった。この詳細は「ゴビ砂漠にて(1/2)」及び「ゴビ砂漠にて(2/2)」をご参照。

www.hongkongmba.tokyo

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道中訪れた様々な街

息抜きの旅行を含め、様々な街を訪れた。

  • 北京
  • 上海
  • 香港
  • マカオ
  • 広州
  • 深圳
  • 桂林
  • 張家界
  • 鳳凰古城
  • 杭州
  • 敦煌
  • バンコク
  • ダナン、ホイアン(ベトナム)
  • シカゴ
  • イリノイ
  • ニューヨーク(シカゴ、イリノイの帰りに寄った)

 

まさに人生の夏休みだった。

2018年12月〜2019年1月   再び、北京

MBAは既に全プログラムを修了し、僕は始まりの地、北京に戻ってきた。上海に残っていた方が楽しかったかもしれないが、僕はこの長い旅に終止符を打つためには、この旅の方向性を決定づけた北京に戻らなければいけないという気になっていた。

 

いまは北京語言大学で中国語の勉強に集中している。中国語のみで行われる授業の最中、ふといつの間にこんなに中国語ができるようになったのだろうと不思議に感じることがある。まだまだビジネスで使えるレベルでもないのだが、「俺いつから中国語を勉強しようと思ったんだっけ」と思う瞬間、可笑しくて笑ってしまう。こんなことは、旅の始まりには意図も予想もしていなかったことなのだ。

 

一年半前に見た街の風景を、思い出と照らし合わせながら眺めていると、自分の中で変わっていった何かに気づく。それは履歴書に書くような類のものでもないし、成長と言えるものなのかもわからない。

 

MBAには意味があるか。改めて、人によるとしか言いようがない。僕自身が思いもしなかったことが沢山起こったこの長い旅が、他の人にとって同じ意味を持っているとは到底考えられないからだ。

 

限られた人生の決して短くない時間を同じようにこの旅に投じた方たちと出会うことがあれば聞きたい。皆さんの旅ではどんなことが起こっただろうか。それは、その旅を歩んだ人しか知らないことなのだ。

 

結局MBAに来てよかったのかって?ここまで読んでくださった方にはお分かり頂けると思う。

 

僕はこの旅に出て本当によかった。それは他の誰にも侵し得ない、僕の心の中にだけある気持ちなのだ。