香港MBA留学後記

留学、その後

ゴビ砂漠にて(1/2)

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CEIBSに来る前のある日、「ゴビ砂漠での『Leadership in Actionコース』に興味はある学生は早期に申し込むこと」とのメールを受信した。詳細はよくわからなかったが、どうやら3日ほど風呂にも入らずにぶっ続けでゴビ砂漠を歩き続けることで2クレジット分の単位がもらえ、その費用の大部分はEMBAの卒業生がスポンサーとして負担してくれるとのことらしい。

 

例年EMBAのみで開催していたところ、今年は初めてMBA生を交えるとのことだった。MBAオフィスによればMBAからは30人ほどの参加見込みらしいので、興味のある学生がそれほど多いとは言えない。MBAはプログラム全体がリーダーシップコースみたいなものなので、ここまで来てリーダーシップか・・・という気持ちもなくはなかったが、HKUSTから同じくCEIBSに来ている仲の良い二人も参加するということだったので、軽い気持ちで参加してみることにした。

 

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1日目、レース開始

レースの概要

ルールは前日夜にようやく語られた。基本的には一日約30kmの道のりを如何に早くゴールに到達するかで得点が割り当てられる。内容は語れないものの道中で色々な課題が与えられ、この達成度によっても得点が与えられ三日間の総合得点で競うのだが、基本的には早く到達することによる得点の寄与度が大きい。

 

隊列は50m以上に伸ばしてはならないというルールがあり、破るとペナルティが与えられる。また、一人が継続不能になる度にかなり大きな得点減が一日毎に課せられるため、脱落者を出さないこともかなり重要。

 

なお、脱落するとその時点でコースがFailとなり、単位が与えられない。MBA生にとってのFailによるインパクトはかなりのものである。よって、全参加者ともに「踏破」は最低限目指すべき目標として持つこととなる。

チーム構成

チームメンバーのことも記しておきたい。EMBAからは8チーム・MBAからは3チームという全体構成で、各チームには約10人が割り当てられ、これも前日夜に発表された。

Nigel:中国人。チームリーダーを引き受けてくれた

Peng:中国人。GPSに基づいて旗を持つ僕の道案内をしてくれた

Panda:中国人。見るからに屈強な身体を持ち、リーダー感が溢れていた

Judy:中国人。後述するが、一日目にチームを離れたのであまり話す機会がなかった

Max:中国人。かつての同僚の木下さんに似ているので心の中で木下と呼んでいた

Xueyi:中国人。今回一番身体が小さく、苦戦を強いられていた

New:タイ人。Xueyiほどではないが苦戦を強いられていた

Toni:LBSから来たBCG出身のドイツ人。Pandaと並ぶ体格を持つエース格

Sara:INSEADから来た世界銀行出身のポルトガル人。アジア人中心でともすれば予定調和になりそうなチーム内で、あらゆることに異議を唱え続ける役割になっていた

僕:HKUSTから来たポン人。目立ちたいの一心で先頭に立つ騎手を引き受けた

チームの目標

EMBAというのはエグゼクティブ向けのMBAで、全て中国語で提供されるプログラムである。中国の上場企業のCEOの10%はCEIBS卒業生と言われているが、社長に近い幹部又は社長自身がCEIBS EMBAを卒業していることによる貢献が大きいだろう。いずれにせよ、EMBAの参加者は40代から50代が中心となる。

 

対するMBAの平均年齢は20台後半といったところ。これを踏まえチームで議論し、目標は「TOP3」とすることになった。MBAチームは体力レベルを勘案して均等に割り振られているので彼らに勝てるかわからないが、EMBAには負けないだろう。TOP3はMBAが独占するというのが順当な見立てだという判断によるものだった。

レース結果

ところが、全くそのようにはならなかった。結論から言えば、1位から8位までをEMBAチームが独占。MBAチームは下位3つに並ぶことになった。

 

先頭のペースメイクは騎手の僕が担当していたのだが、女性を中心に既に足の痛みを訴える者がいたとはいえ、自分自身決して楽ではないペースで歩き続けていた。仮に自分一人で歩いていたとしても、8位より上に行けたかはわからなかった。

 

このレースには一度しか参加できない決まりになっている。昨年までの情報を持っているから有利というわけでもなさそうだった。

レース終了後のキャンプで

この結果には皆愕然としていた。幸いにして脱落者はいなかったとはいえ、本当になぜこんなことが起こるのかわからなかった。戸惑いながらもどうすべきかを議論していると、オーガナイザーがテントに入ってきた。

 

「今からチーム間でメンバーのトレードを行います。この日の最後の課題として、トレードに出す一人を選んでください。トレードされた者がトレード先で走行不可能になった場合にはトレード元のチームにも脱落のペナルティが課されるので、怪我をしている者・しそうな者を選ぶのは不利になることも考慮してください」

トレードに出す一人を選ぶ

なぜそんなことをしなくてはいけないのかわからなかったが、5分以内に議論して一人を選べという。

 

これには難儀した。色々な議論があったのだが、「トレード先がEMBAのチームになるとしたらいい機会なので行きたい」とJudyが言い出してくれたので、Judyを出すことになった。

汪哥を迎える

トレード相手は各チームのリーダーが選ぶ。白髪で痩せた眼光の鋭いEMBA生をNigelがテントに連れてきた。下の名前は汪(Wang)さんといい、50歳ほどの創業経営者とのことだった。中国人達は「汪哥(Wangお兄さん)」と呼び始めた。

 

旺哥は英語が全く話せない。汪哥だけでなく、EMBA生にMBA生と同レベルで英語を話せる人は殆どいない。Maxによれば、改革開放を大きな境目として、80年代生まれ(80后という)以降とそれ以前では教育水準が全く異なることによるためとのことだった。本では読んだことのある話だ。

 

夕食の時に、汪哥のいないところでNigelがMBA生達に告げた。

「汪哥は最初、僕らのチームに来るのを嫌がってたんだ。決意が足りない、勝利への意欲がないと言うんだよ。でも、そんなことないだろ?だから説得して何とか連れてきたんだ。明日はもっと頑張ろう」

テントでの議論

いずれにしても、何らかの作戦を立てなければいけないことは明確だった。僕らはありとあらゆることを旺哥に質問した。ランチの休憩では何分止まっていたのか、隊列はどうやって組むべきか、等々・・・。

 

汪哥はぶっきらぼうながらも一つ一つの質問に答えてくれていたが、やがてこう言った。

「お前達、明日は何位を狙っているんだ」

Nigelが答えた。「TOP3です」

「無理だ、現実的な目標を置け。EMBAは強い」

 

僕はこう言った。「正直に言って、年齢層が高いEMBAが明日もこのペースを保てるとは思えないんです。明日はきっとEMBAから脱落者が出る。我々は誰も脱落しないようにペースを保てば、総合得点でTOP3に入れる可能性があるんじゃないかと」

 

汪哥はこう言った。「無理だ。彼らは中国における最初のアントレプレナー世代だ。生きるためには勝たなくてはいけないことを知っているし、何も失いたくないと思っている。お前達何でも持って生まれてきた80后・90后とは違うんだよ」

 

「まあ作戦はお前達で決めていいから」汪哥はそう言うと、寝袋に入ってしまった。

 

僕らは各々しばらく黙っていたが、汪哥に教えてもらった情報を元に翌日の作戦を立て、眠りについた。目標は引き続きTOP3に置く。翌朝は6時半起床だったが、既に12時を回っていた。

 

(つづく)