香港MBA留学記

香港科技大学MBA留学で経験したこと、考えたこと

【中国語】アスペクトまとめ

中国語には時制がない。

 

「そんな馬鹿な」と思うのももっともな話ではあるが、代わりに「アスペクト」という概念によって、不自由なく表現することができる。なのだが、これについては独学でWhy?にこたえるはじめての中国語の文法書を一読したきり常にその場しのぎでやってきたので、本格的に勉強を開始したここらで整理しておく必要があると感じ、以下自分なりに心ゆくまでまとめていくことにする。Why?本を基にしつつも、学術的に誤ることを恐れずに自分が理解しやすいように強引に整理する方針ではあるが、致命的な間違いなどあれば是非ご指摘を頂きたい。

(注:本記事は中国語に興味がある初心者以外には無益な自分用のまとめです)

アスペクトの全体像

アスペクトは日本語で「相」といい、ある動作の発展変化の中のどの段階に動作があるかを示すものである。Why本にある素晴らしい図式を基に、少しだけ改変してみたのが以下となる。

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カッコ内はアスペクト・マーカーと呼ばれるもので、動詞に付属させることでどのアスペクトを示しているかがわかるようにするものである。

 

アスペクトは動作の相を表すものなので、時間の概念とは関係がない。冒頭の通り「中国語には時制がない」ので、「いつ行われたか」自体は「明天」や「昨天」といった語句で表すことにより、過去・現在・未来のいずれとも紐づくことができる。

 

なお、開始相と継続相はWhy本において「方向補語の派生義」として扱われているので、本記事では取り扱わないことにする。

進行のアスペクト

基本的な使い方

動詞を”正在…呢”で包み込むのが進行のアスペクトマーカーだが、この「正」「在」「呢」のうちどれか一つでもあれば進行のアスペクトを示すことができる。

(〇)他们正在吃午饭呢。

(〇)他们正吃午饭。

(〇)他们在吃午饭呢。

(〇)他们吃午饭呢。

 

但し、「呢」だけで表す際は、目的語か連用修飾語を伴っているのが普通である(上記でいうと午饭)。よって、伝わるかどうかは知らないが以下は望ましくない。

(△)他们吃呢。

 

また、中国語では同字同音の連続を避けるため、場所を表す介詞が文中に入る時には、「正在」の「在」は必ず省略される。よって、

(〇)他正在屋里睡觉呢。

(×)他正在在屋里睡觉呢。

となる点には留意しておく。

 

ところでWhy本においては、「呢」自体にアスペクト的な意味があるというよりは、単なる語気助詞として平叙文において「進行や持続のアスペクト、及び『还』や『可+形容詞』と相性がよく、しばしば文末に置かれる」といった形で説明されており、用法として暗記するのもいいのだが、本質的に平叙文においてどのようなニュアンスを持つ語句なのかはここからだけでは定かではない(第34課。なお疑問文においては「思いまどいのような気持ち」を表す語気助詞であるとされる)。

進行:他正在睡觉呢(彼は眠っているところだ)

持続:外边儿下着雨呢(外は雨が降っている)

还:她还会弹钢琴呢(彼はピアノも弾ける)

可+形容詞:今天可冷呢(今日は本当に寒いなあ)

 

と、上記のように並べて考えて見てもちょっとよくわからない。進行と持続については「まだ続いてる感じ」が表されているんだろうか?还と可+形容詞に関しては「~なんだよなぁ」という語気が入っているような気もするんだが、すると進行・持続での使い方とは異なるもののように感じられる。一旦、こういうものだとして暗記するしかないか。

否定文

考え方

進行相に限らず、アスペクトの否定形には常に「没(有)」が使われる。感覚としては、「不~」は「~とは違う、~ではない」という感じなので、ともかく何かが「実現」したことを表すアスペクトの否定においては「~がない、~してない」といった意味で「没有」が使われるイメージとして捉えることができるだろうか。正しい文かわからないが、以下のように考えると自分としては理解がしやすい。

他不吃:彼は吃ということをしない(彼はご飯を食べない)

他没(有)吃:彼は吃というアスペクトを実現していない(彼は食べていない)

 

否定するときには進行のマーカーは取り払ってしまうのが普通。なお、没有の有は省略可能。

(〇)他没有看书。

(〇)他没看书。

 

なお後で詳細に検討するが、「動作をどう行ったか」に焦点を当てる進行相、完了・実現相、及び持続相のうち動作の持続を表すもの(結果の残存ではなく)については全て「アスペクト・マーカーを取り払って没(有)をつける」という形で表現することができ、それらの間に区別はない(いくつか残してもよいアスペクト・マーカーは存在するが)。

例外
  • 否定文でも「在」だけは残ることがある(「正」と「呢」は残らない)
    (〇)他没在看电视。
  • 常に「没有」を使うという基本原則にいきなり反するようだが、「不是」を使う用法もある(アスペクトの否定ではないので基本原則に反しているわけではないと思うが)。「彼は本を読んでいない」と言う時は上記の通り「他没有看书」なのだが、「彼は本を読んでいるのではない」と言う時には「他不是在看是」と言う。使いこなせるかは別として、現時点で感覚的には理解可能な話ではある

持続のアスペクト

基本的な使い方

動詞の直後に「着」のアスペクト・マーカーをつけるだけ。進行のアスペクト同様、文末に「呢」が入ることもあるが、進行相と異なり「着」は必須。

 

上記だけなので平叙文でただ使う分には簡単なのだが、(1)動作の持続を表すか(2)動作の結果の残存を表すかで大きく分かれると共に、身体動作に関してのみ、(3)動作の持続かつ結果の残存を表すというタイプもあり、大きく3種類に分かれる。

  1. 妈妈做着饭呢。 ※持続
  2. 门开着呢。 ※残存
  3. 他在椅子上坐着。 ※身体動作

これらのタイプの違いが、A)否定形での用法とB)進行形との組み合わせ可否に以下の違いを及ぼす。

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否定形

上表にまとめた通り、(1)動作の持続のアスペクトの場合にはアスペクトマーカーの「着」が消える。つまり、のちに見る完了・実現のアスペクトもそうなのだが、動作そのものに着目するアスペクトの否定形は進行・完了・実現・持続の間に区別がないということになるWhy本でこのようなまとめ方がされているわけではなく我流の考えなので合っているかは不明だが)。

  • 他正在吃饭呢⇒(否定)他没吃饭 ※彼はご飯を食べていない
  • 他吃着饭呢⇒(否定)他没吃饭 ※彼はご飯を食べていない
  • 他吃饭了⇒(否定)他没吃饭 ※彼はご飯を食べていない

アスペクトは動作の状態がどうなっているかを表現するものなので、実現していない動作についてはアスペクトもクソもないということだろうか。一方、仮にも実現しており、残存の状態について表すアスペクトについては否定形でも「着」を残すものとして解釈ができそうだ。

※なお、上記のうち進行の否定形だけは「在」を残すこともできる

※完了・実現の否定の場合には「还没…呢」という表現もよく使われる

進行相との違い

違いの本質

進行と持続はどう違うのか?というのは実は少し頭の整理が必要となる。持続しているということはまだ進行しているということなので、一体何が違うんだっけ?ということだ。

 

Why本で紹介されているのは、例えば日本語で「彼女は歌を歌っている」という場合、中国語では以下の二通りで言うことができ、それぞれ意味が違う。

  • 她正在唱歌儿呢((何をしているのかな?という気持ちが事前にありつつ、実際に歌っているのを見て)彼女は歌を歌っている、というニュアンス)
  • 她唱着歌儿呢((さっき歌っていたけどまだ歌っているかな?という気持ちが事前にありつつ、実際に歌っているのを見て)彼女は(まだ)歌を歌っている、というニュアンス)
進行+持続の使い方も可

アスペクトとして見ている部分が近いので、進行相と持続相は相性がいい。実際、進行と持続を組み合わせた、現在完了進行形のような使い方もできる。上述したが、この使い方ができるのは「動作の持続のアスペクト」だけであり、「動作の結果の残存のアスペクト」では許されていないが、この点はことさら意識しなくても感覚として理解することは難しくない。

  • 她正在唱着歌呢(彼女は歌っているところだ)
  • 他正在打着电话呢(彼は電話をかけているところだ)

完了・実現のアスペクト

基本的な使い方

動詞の直後にアスペクト・マーカーの「了」をつけるだけ…なんだが、実際には目的語が定語(連体修飾語)を伴うかどうかで「了をつける位置が異なる」(後述するようにWhy本によればこの言い方は不正確だと思われ、つける位置が異なるのではなく、使うべき「了」が異なるということのようだが、一般学習者にとってはこの方が理解しやすい)。

否定形

「没(有)」をつけ、「了」を落とす。または「まだ~していない」という場合には「还没…呢」という表現もよく使われる。

もう一つの「了」(語気助詞)

「了をどこにつけるか」問題に触れる前に、文字も発音も同じだが文法的な整理として異なる「語気助詞の了」という概念を導入しておく。これは文末に置き、話し手の「ある自体や状況が既に発生したことを認める気持ち」や「状況の変化に気づいた気持ち」を表す。

  • 天气冷了
  • 她今年十岁了
  • 他买了词典了
  • 我写了信了

了をどこにつけるか問題

さて、完了・実現のアスペクトにおける唯一の論点と思われる、「了をどこにつけるか問題」だ。以下の文はいずれも正しいのだが、目的語をどこに置くべきかの規則性が、勉強を始めたばかりの頃には理解できなかった。

(〇)我买词典了。 ※S+V+O+了

(〇)我买了两件毛衣。 ※S+V+了+O

 

この疑問はWhy本が解消してくれた。以下が原則となる。

定語(連体修飾語)がつく目的語の場合

こちらを基本形として考えることにしたい。Why本で明記されている訳ではないため正しいかわからないが、アスペクト・マーカー(正在,着,了,过など)は全て動詞の直前か直後に密着させるのが原則であると思われる。

 

定語がつく目的語をとる場合には、この原則から(外見上も)乖離することはない。即ち、以下の通り動詞の直後にアスペクト・マーカーの了を置く。

  • 买了两件毛衣。
  • 吃了三个面包。
  • 买了很多中文杂志。
  • 他们参观了我们学校的图书馆。
定語(連体修飾語)がつかない目的語(ハダカの目的語)の場合

ところがWhy本の言う「ハダカの目的語」においてはこの限りではない。どうも、

  • (×)我买了词典。
  • (×)我写了信。

これらのように「ハダカの目的語」で終わるのは、「まだあとに言葉が続く感じで、どうにも止まらない」からダメとのことである(この理由はいかにも音を大事にする中国語らしいなあ、と感心してしまうのだが)。

 

ということで、一つの解決法は文末に語気助詞の「了」をつける。こうすると「文が止まる」ということである。

  • 我买了词典了。
  • 我写了信了。

ところがこの時、動詞の直後のアスペクト・マーカーの「了」は省略可能であり、むしろその方が自然だとすら言う。すると、

  • 我买词典了。
  • 我写信了。

となり、あたかもV+O+アスペクト・マーカーの「了」となり、「アスペクト・マーカーは動詞に密着させる」という原則から離れたように見える。しかし実際には動詞の直後のアスペクト・マーカーの「了」は省略されているだけで、文末の「了」は語気助詞だから原則から乖離していないということのようだ。

 

もう一つ解決法があり、それは「文を続けること」。例えば以下の様な形をとれば、一応文が止まるのでOKらしい(なんという音重視の文法なのだろうか)。

  • 我买了书,就回家
  • 我写了信,就去游泳

 

実際に話す時には「次に俺が話したい目的語に定語はつくか!?つかないなら了は最後に持ってこないと!」とかごちゃごちゃ考える余裕も時間もないのでどうしたものだろうかと思ってしまうのだが、たぶん実践的には「目的語が短い時は動詞の後につっこんじゃっていい。よくわからないときは動詞の直後に一旦『了』をつけておいて、目的語が短くて収まりが悪そうだったら最後にもう一回『了』をつけても間違いじゃない」みたいな感覚を磨いていくのかな、と思う。作文ならじっくり考えることができるのだけどなあ。

経験のアスペクト

基本的な使い方

アスペクト・マーカーの「过」を動詞の直後につける。否定形は「没(有)」を動詞の直前につけるだけであり、「过」は落とせない。

 

基本的に上記のみなのでこれが一番簡単なアスペクトかもしれない。但し、以下二つだけ留意点がある。

平叙文と否定文でよくつく副詞が違う

平叙文では動詞の前によく「曾经(かつて、以前)」がつく。

一方、否定文でつけるとするなら「从来(これまで、かつて)」。なんでやねん。

終結の「过」(結果補語)というものがある

例えば以下の文は、「过」が用いられているが「経験」を表すものではなく、その動作が終結したことを単に表す「終結の过」と呼ばれるものである。経験相では語尾に「了」がつくことはないが、終結の过では「了」をつけることができる。

  • 樱花已经开过了。(桜の花はもう咲き終わった)
  • 他们吃过了去饭,就走了。(彼らは昼食をすますと、すぐ出かけた)

将然のアスペクト

基本的な使い方

「まもなく~する(将(マサ)ニ然(シカ)ラントス)」ことを表すアスペクトであり、「要…了」のアスペクト・マーカーで動詞を包んで表すのだが、前につく副詞によって用法がやや異なり複雑なため以下の表にまとめた。

 

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※将の簡体字はちょっと異なる字なのだが表示できないためこのままにしておく

例外(まもなく~しようとした時)

「まもなく~しようとしたとき(要~的时候)」と言う時には「了」が消える。

  • 前天飞机要起飞的时候,忽然下雨了。
  • 昨天我要出去玩儿的时候,我爸爸回来了。

否定形

Why本の中に明記されているわけではないのだが、たぶん平叙文において「彼はまもなく~しようとはしていない」というのは少しおかしな表現であるため、将然のアスペクトにおける否定形というのは疑問形に対する返答としてのみ解説されている。

  • 她们快要回来了啊?
    ⇒还没(回来)呢。
  • 你们就要开学了吗?
    ⇒还没(开学)呢。

上記のように、「还没(V)呢」で「まだです」と返す。

まとめ

自分なりに整理してみるとやはりよく理解することができた。以下に再度エッセンスだけをまとめてみる。

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参考書

上記の整理は一部自分の考察を交えつつも基本的にWhy本に基づいて行った。Why本は、英語ほどテキストが充実していない中国語学習界において、文法書といえばこれ!という扱いになっていると思われる本である。実際、学習書マニアの自分の目から見ても、仮に英語界に存在していたとしてもめちゃくちゃ優れた文法の解説本と言える。初心者泣かせの「そういうものです、おまじないとして覚えましょう」的な処理がほとんどなく、題名の通り「なぜこうなるのか?」をしつこく一緒に考えてくれる最高の文法書と言える。

Why?にこたえるはじめての中国語の文法書

Why?にこたえるはじめての中国語の文法書

 

 

タイインターン記

3ヶ月もある夏休みのうち1ヶ月はタイで過ごすことにした。このところ中国推しが激しく、学校でも中国好きキャラとして認識されていたように思うのだが、もとはと言えば東南アジア志向が強く、HKUSTに決めたのも中国に限らず広くアジアを見据えたいという経緯があった。8月からは上海に行って中国漬けになるということもあり、ここはいっちょ以前からの夢の一つであった「バンコクに住んで働く」というのを実現してやるか!と考えたのである。

 

しかしどこで働くか。ふと思い立ってとある会社のオフィス所在地を調べたところ、タイにオフィスがあることが分かり、すぐにCVとメールを送った。翌日面接をしてすぐにインターンをさせて頂けることになった。

 

この会社こそ、実は僕がこの10年以上に亘って密かにウォッチし続けていた人物の会社なのであった。

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彼との出会い

以前の記事(私の就活不採用体験記)で書いた通り、僕は就職活動で某証券会社のいくつかの部門を受けていた。ハッタリ戦略が功を奏して参加できることになったIBDのインターンの初日、あの六本木ヒルズのエレベーターを上がっていく時に初めてその人に出会った。

 

そばにいた元々の知り合いらしきに「やっぱりここが第一志望なんですか」と問われた彼は、「いえ、僕はコンサルかなと思ってます」と答えた。どうやらトップTierの戦略コンサルティングファームのオファーをもうもらっているらしかった。 

 

「すごいっすねやっぱり!」と言われた彼は、少し謙遜の冗談を交えながら満面の笑顔で応じていた。

 

なぜ自分はこの時のことをこんなに細かく覚えているのだろう。やり取り自体は間違いなく他愛もない内容なのだが、彼の身のこなし方、他人との距離感、屈託のない笑顔などからカリスマ性がにじみ出ていた。

 

そして、その時の自分の感覚はインターン2日目のプレゼン時に正しかったことが証明された。のちに某絶好調ベンチャーでCFOを務めることになる某氏と彼のチームのプレゼンは圧倒的で、当代の就活トップ層を集めたはずの集団の中でも群を抜いていた。もう見た瞬間に負けた、という感じだった。この人たちはたった1日でこんなプレゼンを準備できるんだ、自分なんかが受かるはずがなかった、と思った。彼のチームは3人全員オファーをもらい、僕のチームは3人全員落ちた。

 

彼はインターンに参加した人のメーリングリストを作り、のちに飲み会などを企画してくれていたような気もするけど、オファーをもらえなかった自分はそのメーリングリストのメールを見ることすら避けていたと思う。あんなすごい人達と飲んでも、自分は自爆的な一気飲みぐらいしか楽しいことを提供できないんじゃないか?(ていうかそれって何も面白くないんじゃないか?)ぐらいは卑屈になっていたと思う。

 

住む世界が違う人がいるんだな、と思った。そして、彼の名前は自分の中でコンプレックスのような重しとして残り続けた。

会社設立を知る

「いやぁ住む世界が違うと思いました。かなうわけないっすよ」と表面的に思いつつも、心の底では「本当に住む世界が違うのかな・・・?めっちゃ頑張ったら追い越せたりしない?」と粘着するタイプの人間が僕だ。仕事が落ち着いたり、昇進したりする度に彼の名前で検索をかけていた。

 

僕がジュニアコンサルタントからコンサルタントに昇進した頃⇒彼はどこかの会社の取締役に
僕がコンサルタントからシニアコンサルタントに昇進した頃⇒彼は現在の会社を立ち上げ

 

そして、彼の会社はどんどん大きくなっていき、自分の身の回りで入社する人や、新卒の社員が学生の頃にインターンをしていました、などということが増えてきた。

そしてインターン

あまり例のないことだと思うが、インターンではプロジェクトマネージャーとして7人ほどのタイ・香港人メンバーと働かせてもらった。MBAではいまいち自信が持ち切れていなかった非日本語話者チームのマネジメントを、仮にもプロの仕事として出来た点は密かに大きな自信になった。

 

しかしそんなことよりも、彼が創った会社で働くこと自体に大きな価値があったのだと、最終日になりようやく気づいた。最終日の朝、全社員がテレカンで繋がって会社の全オフィス・全事業の業績を共有するグローバルMTGがたまたまあった。CEOの彼が、流暢な英語で会社の現況を説明していく。

 

バンコクオフィスの仕事しかしていなかった自分は、この時に初めて会社の全容を知った。分野としては多岐に亘るものの、軸となるビジネスモデルは一貫しており、かつその肝の部分は自分がかねてから日本の課題だと考えていたいくつかを真芯から捉えている。やっぱりすごいな、と思いつつも、なぜか心が晴れやかになっていくのを感じた。彼が遠くにいくように感じるたびにコンプレックスを強めていたというのに、それは不思議なことだった。

 

学生の頃は手も足も出なかった。社会人になっても、スライド1枚自信を持って書けない自分に、プリンシパルインベストメントで活躍している彼の世界は想像もできないものだった。

 

しかし今回のインターンで感じたのは、意外にも「同じ世界にいるんだな」ということだった。もちろん彼は昔よりもっとずっとすごいし、自分が彼を追い越せるとも思っていない。というよりも、人の能力というのは追い越す・追い越さないという一方向のベクトルで語るべきではないということを今は理解している。その上で、少なくとも同じ次元に立っているんだなということを、肌感覚として理解することができたのだと思う。

 

これまでに同年代ですごい人というのは他にも会ってきたし、それはコンプレックスという形になるものではなかったのだけど、あの時、まだ自分が何もできない時に、就活の苦い記憶と共に感じた想いは長くコンプレックスとなってしまっていた。それは自分自身のキャリア観が成熟してきたことに加え、この十年強自分なりに仕事を頑張ってきたことと、自分の身を彼の世界に投じることによって、ようやく解消することができたのだ。

 

これは予想していなかった収穫だった。10年以上前に東京で得てしまった呪いのような想いを、北京・香港にはじまったこの長い旅の途中で解消することができた。このことは、ここバンコクにおけるその他多くのきらびやかな思い出と共に僕の記憶に残り続けることだろう。

 

P.S. なおバンコクオフィスの責任者との最後のMTGで上記に近い話を一気にまくし立てたところ、「そんなに好きならいくらでもMTGを設定したのに・・・去る前に話さなくていいんですか」と言われたのだが、「こっちが10年以上覚えてるのに、『誰だっけ?』て言われたら僕の心が大変なことになっちゃうじゃないですか!?いいんです話さなくて」と丁重に申し上げたのはまた別のお話

香港を知る三冊

香港生活も残すところあと二週間。先日海南島に遊びに行った際に3冊ほど香港関連の本を読んだので、その中でも「香港 中国と向き合う自由都市 (岩波新書)」という本を中心に、香港の日々を振り返りつつ簡単にまとめたい。

 

香港って中国?何語が話されてるの?といった超初心者は別として、多少香港について知っている人も2014年の雨傘運動のイメージなどから「香港は(大陸の)中国&中国人が嫌いでしょう?」という認識を持ちがちである。しかし実際には、いまこの瞬間を切り取ってもそこまで話は単純ではない。

 

たしかに、「Hong Kong is a part of China」と無邪気に言い切ったり(実際、間違いではないのだが)、国別対抗フットサル大会でただでさえ大きい中国チームに香港・台湾を加えて「Greater Chinaチーム」を悪気なく作ったりする大陸人の同級生に、「I am not Chinese」と言って静かに反発する香港人の同級生を間近で見てきた。しかし、全体観で見るとどうなのか、その背景にはどのような歴史的経緯があるのかを、自分の勉強として整理しておきたい。

 

香港における対中感情の年代別整理

どのように複雑な状況になっているのか、まずは時系列で簡単に振り返る。以下の本からまとめたものであるものの、理解に間違いがあればご指摘いただきたい。

 

香港 中国と向き合う自由都市 (岩波新書)

香港 中国と向き合う自由都市 (岩波新書)

 

 1980年代

第二次世界大戦後、日本から英国に統治が戻った香港は冷戦の最前線地域としての位置づけも持っていた。英国は西側諸国の一角として、かつ返還後の対英感情を可能な限りよいものとするために香港の民主化を模索していたとされるが、香港内部の既得権益層の反発、そして何より北京からの強い反発もあり、返還交渉が始まる1980年代に入るまで民主化に手をつけることはなかった。

1982年に北京でサッチャーと鄧小平が会談し、返還後は「一国二制度」が敷かれること、「行政長官及び立法機関は選挙により選出される」ことが方針として定められた中英共同声明が発表され、英国は香港の民主化を、香港人の求めに応じたというよりも、トップダウンの形で進めた。1989年に天安門事件が起こったことで、返還後の未来に絶望し、移民を考える人も増えたが、英国は引き続き民主化を進めた。

※なお余談になるが、民主化もならず英国統治下にあった香港に自由がなかったというわけでは決してなく、「香港の権力はジョッキー・クラブ、ジャーディン・マセソン商会、香港上海銀行、総督の順に存在する」という言い回しがあったほど、制度上は国王並みの権限を持っていた総督も実際には民衆(というか既得権益層)に耳を傾けながらでなければ統治ができなかったようである。実際、香港文化が花開き「香港人」としてのアイデンティティが芽生えてきたとされる1970年代は民主のかけらもない植民地であったが、「香港における三丁目の夕日」として多くの香港人が懐かしむ古き良き時代であると上述の本では紹介している

※生まれた時から日本人をやっていると、1970年代になってようやく香港人としてのアイデンティティが形成されたというのは新鮮に感じる。上記の本を読む限り、この認識は香港研究ではコンセンサスとなっているようだ。例えば香港映画を代表するブルース・リー(1973年没)に「あなたはなに人ですか」と問うても、「香港人だ」と回答することはなかったのではないかと本書の著者の一人である香港人は言う

※「香港料理」というものも難しい。典型的なのは飲茶なのだろうが、これも広東省も含めた中国南部の習慣であり、「香港料理」とされるものは元をたどればどれも香港ではない。日本から来る人が食べたがることが多い杏仁豆腐も、元々は香港にある上海料理店で食べられていたが、ここ20年ほど香港では食べている人がおらず、日本人が杏仁豆腐を好きらしいということで最近またレストランで出しているものだそうで、要は香港人はそれがどこのものかは気にせず、美味しくて売れればいい。様々なところから持ち込まれ、様々な力に影響され、形を変え、いつの間にかなくなる(そして復活したりする)ということ自体が香港文化の特徴であり、杏仁豆腐はその象徴的な存在であると紹介されている

1990年代

1992年に就任した最後の総督パッテンは、それまで以上に過激に民主化を進めた。このあたりの経緯は色々あるのだが、結果的に北京の反発を買い、民主化にソフトランディングできる可能性があった交渉はかなりの部分が白紙に戻ってしまう。しかし、「立法会議員選出における部分的な普通選挙の導入」「将来的に行政長官選出を普通選挙で行うという中国との約束」「香港人自身の民主化への意欲と期待の喚起」といった点での収穫はあった。

返還~2003年

天安門事件以降に悪評を極めていた中国への返還は、多くの人々が悲観的に見ていた。しかし実際には北京政府は返還直後の香港運営を極めて上手に行った。香港記者協会は毎年「香港言論自由年報」を発行しているのだが、返還前夜の1997年6月に発行された年報では「明らかに、現在の言論の自由は締めつけを受けるだろう」と述べていたところ、2年後の1999年に発行された年報では「状況は当初の暗い予測とは甚だ異なっている。香港特区は相変わらず言論の自由を享受している」と書かれたほど、北京政府は香港の自治に委ね、不干渉とする方針を実行した。これは初代行政長官となった董建華が既に北京の息のかかった人間であったため、表向き厳しく管理する必要がなかったことに加え、一国二制度を成功させることで台湾や国際社会にアピールするという目的もあったようである。この時点での香港人の一般的な対中感情は、「思っていたよりも悪くはなかったな」というところだろうか。

2003年~北京オリンピック前後

こうした政治的状況の一方、返還後の香港経済は危機を迎えていた。1997年の返還直後に始まったアジア通貨危機に対抗するための当局による金利爆上げによって香港の株式市場・不動産市場が爆下がりしたことに加え、2003年のSARSの流行が追い打ちをかけた。

こうした中、中国政府は香港製品の無関税での大陸輸出や大陸の一部住民の香港への個人旅行の解禁からなる「中港融合」を進め、香港経済はV字回復する。SARS以降閑散としていた香港の街並みには中国人が溢れ、活気が戻った。2007年10月に香港大学が行った世論調査では、中国中央政府を「信任する」と答えた人が59.0%、「信任しない」と答えた人は12.9%程度となった。この北京オリンピック前後が、香港人の対中感情が最も良かった時期であるようだ。

しかし、中港融合は同時に副作用ももたらしていた。

  • 香港のインフラの圧迫:交通機関や商店の混雑だけでなく、香港の永住権と一人っ子政策からの抜け道を狙い、香港で出産する中国人が爆増し、香港の産科病床が不足するなどの問題が起こった
  • 不動産価格の高騰:中国人の不動産買い占めにより、不動産価格が爆騰した。先日香港に赴任になったばかりの方が「香港は家賃がだいぶ高いそうで、セントラルのあたりは丸の内ぐらいするそうですね」と仰っていたが、そんなのんきなものではなく、セントラルの坪当たり賃料は今や丸の内の2倍ほどとなっている
  • 大陸人への感情的対立:大声で話す、電車内で飲食する、街中で子供に排泄されるといったマナーの悪さへの反発(個人的にはもうここまでマナーの悪い中国人は見かけていないが)。なお、もともと香港では返還以前から大陸人は自分達に比べて田舎者だ、という一般的な印象があり、ポップカルチャーの中でもそのように描写されることが多かったようである

一方で、上記の通り香港経済はもはや大陸への依存なしには成り立たない構造になってしまった。更に、中国における香港の重要度が下がったことも、中国・香港間の交渉力に大きな影響を与えている。中国のGNIに占める香港の割合は、1993年に21.4%を占めピークを迎えたのち、2014年に2.8%となるまで低下を続けている。こうしたことを背景に、以降中国政府と香港人民の対立が目立つようになってくる。

2007年以降

返還時点で、中国は「いつか行政長官の選出を普通選挙で行う」ということを約束していた。ただしそれは「確かにそうは言ったが場所も時間も指定していない。中国がその気になれば100万年後ということも可能・・・」というものであったが、2007年末に北京は「2017年の行政長官選挙を普通選挙でやってもよい」という見解を発表した。しかし、ここには手放しに喜ぶことができない裏があった。

行政長官の候補を選出する指名委員会の構成員を、北京に近しい財界人を中心に構成することができる、という条件付きだったのである、すなわち「投票自体は普通選挙で行なう。ただし候補者は全員北京寄り」というものだった。これと並行して愛国教育の強化政策が進められたりする中で、香港では学生や民主派の議員を中心に民主化の運動が強まっていった。

2014年、雨傘運動

2013年に香港大学の法学部教授がオキュパイ・セントラル(占領中環)という運動を提唱した。署名活動や小さなデモでは北京に圧力をかけられないとして、金融の中心地であるセントラルで非暴力の座り込みを1万人以上で行うことで、北京に抗議するとともに世界の注目を集めようという考え方だった。

北京はこれに強く反発し、ますます締め付けを強めていく。そして2014年、上記の「候補者全員北京寄り」の普通選挙が導入されることが正式に決定されたことを契機に、とうとう79日間に亘り、総参加者数120万人(香港の人口は約700万人)に及ぶオキュパイ・セントラルが実行に移された。ここでは詳細は語らないが、集まった学生に対し警察が催涙弾を発し、それをテレビで見た民衆が応援のためにめいめい催涙弾対策で傘を持つなどして次々と集まった。実際にはセントラルではなくアドミラルティと旺角(モンコック)で占領が行われたが、一緒に座り込まないまでも近所の料理店のおじさんがそっと無言で食料を差し入れたり、黒社会(ヤクザ)の構成員が車で座り込みのバリケードを守ったりなど、学生を起点としながらも多くの香港人を巻き込んだ運動となった。

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 そして今

 雨傘運動以降、中国政府の締め付けは更に厳しくなっており、過激な民主派議員などは当選した後も資格を剥奪されるようなことが多発している。一方で、香港人も決して一枚岩ではないようだ。香港の選挙制は普通選挙である直接選挙枠35枠と、産業界を中心に一部の限られた人が選挙権を持つ職能別選挙枠35枠から成り、後者の選挙権を持つ人は全選挙権者の10分の1以下と圧倒的に少ないながら、その内訳は親中派が多い。要は選挙制度として民意を反映する形にはなっていないのだが、少なくとも前者の直接選挙枠には民意が反映されてしかるべきところ、雨傘運動前の2012年時点に直接選挙枠の55%を獲得できていた民主派は、2018年の選挙では33議席中16枠(48%)しか獲得できなかった(職能別選挙では35席中10議席で29%)。

 

一般的には、親政府派(親中派)と民主派の代表的な支持層の特徴は以下とされるが、職能別選挙での親中派優勢の状況を見ればわかるように超高所得の財界人には親政府派が多い(そして40年前に英国による民主化に反発したのもこの層だった)ので、実際のところはもっと複雑な様相を呈している。

  • 親政府派:年長、低学歴、大陸生まれ、低所得
  • 民主派:若者、高学歴、香港生まれ、高所得

また、雨傘運動のリーダーの一人だったアグネス・チョウに代表されるように、民主派は高学歴の大学生が多いという上記通りのイメージもあるのだが、実際には雨傘運動においてもアドミラルティ組と旺角組でだいぶ毛色が異なっていたようで、旺角の街のイメージそのままに低学歴・低収入だが強い想いを持った香港人の中には、英語のプラカードを掲げるようなアドミラルティ組のインテリなイメージに馴染めずに旺角に移動した人も多かったようである(そして、アドミラルティ組の中には「旺角組は運動の趣旨をそもそも理解できているのか?」「非暴力が大前提だが、彼らは本当に手を出さずにいられるか?」といった意識を持つ者がいた可能性もあると言われている)。

むしろ年代の方が意識の違いとの関連性が高いようだ。 2015年に香港大学が行った、自分は「香港人」「中国の香港人」「香港の中国人」「中国人」のいずれを自称するかを問い、後二者を「広義の中国人」として集計した調査の結果は以下だった。

  • 30歳以上で「広義の中国人」と回答した割合:39.6%
  • 18~29歳で   〃    と回答した割合:13.0%

自分の周りの香港人を見る限りでは、「若者であっても『広義の中国人』を自称する人が13%もいるのか!」というのはちょっとした驚きではある。高い教育を受けた若年層の典型であるMBAの香港人で「広義の中国人」と回答する人はちょっと想像できないからだ(I am not Chinese!と言った彼のように)。しかし、それが香港人の全てではない。香港の財界で力を持つ偉い年長者と仕事するような場合、先方が親中派であるような可能性はそれなりに高い。

香港生活、あと少し

と、上記の話はほとんど香港 中国と向き合う自由都市 (岩波新書)を元にして書いており、ここでは事実をはしょりながら整理するに留まったが、本書中では時代ごとの様々な関係者の証言を基により深い洞察が展開されているので、香港に興味がある人は手に取ってみることをおすすめする。自分はあと少しで香港を去るこのタイミングで読むのではなく、もっと早く読んでいれば街の見方も変わっただろうなと少し後悔している。

 

 なお上記の本を読んでからだと、以下の本を圧倒的に読みやすくなる。こちらは政治経済に留まらず、文化的な側面も含めてよりマニアックな情報を紹介している(一方で、考察・洞察というよりも雑学ファクトブックといった感じ)。

香港を知るための60章 (エリア・スタディーズ142)

香港を知るための60章 (エリア・スタディーズ142)

 

 

上記まで読むと、以下の本を読んだ時の理解度と感じ方が違ってくる。返還前後の香港で2年間を過ごした著者により、一人ひとりの人たちとの交わりが濃密に描かれている。上二冊を読むぐらい香港にハマってしまった人には、この本は一文一文読むごとに悶絶するように面白く感じるだろう。

転がる香港に苔は生えない (文春文庫)

転がる香港に苔は生えない (文春文庫)

 

 

別に、香港が大好きだから今ここにいるわけじゃない。北京から来た時、飲食店のサービスは悪いし広東語は荒っぽく感じるし、むしろあまり好きでなかったとすら言ってもいい。しかし、去る日が近づくほどに惹かれてしまう不思議な魅力をこの街はやはり持っている。その背景は、歴史を少し紐解いてみることで理解が進む。

 

いつかこの街に戻ってくることがあるだろうか。いまはただ、あと少しの香港生活を最後悔なく満喫したいと思っている。

何をするかより誰とするか ~ジャパントレックを終えて

ジャパントレックが終わった。多くのMBAプログラムにおいて学生を修学旅行的に様々な国に連れていく〇〇トレックというものがあり、ここUSTにおいても深圳トレック・上海トレック・北京トレック・シンガポールトレック・タイランドトレック・コリアトレック・ロシアトレックなどがある中、ジャパントレックはその中でも毎年規模的に重要な位置を占めている。

 

そもそもUSTの学生はアジア系及び親アジアの欧米人が多いため、日本に一回も行ったことがない学生というのはあまりいない。そうしたこともあって、今年度のジャパンクラブは「Re-discover Japan!」をキーメッセージに色々活動を行ってきた。その集大成がジャパントレックであり、それを成功裡に終えられたのは感慨深い。

 

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 「外国人の友達を日本に連れてきて案内する」というのは自分のささやかな夢だったということもある。観光・企業訪問含めほぼ全て大成功で、唯一の失敗として最終日のバーレスクで華々しく終える予定が自分のミスで予約日が一週間間違っており、系列店のバーレスクYavayに急遽20人ばかり詰め込むことになってしまった時は真剣に自殺を検討したけど、まあトータルではよしとしよう(なお最近バーレスクのアルバムをAWAで聴きながら筋トレするのが大好きだったのだが、その事件以降悲しくて聞けなくなってしまった)。

 

個別の思い出を綴っていくといくら時間があっても足りないので、自分のキャリア観に影響のあった一つの出来事についてだけ記しておきたいと思う。

面白法人カヤックへの訪問

今回企業訪問した会社は基本的に非日本語話者のMBA採用を積極的に行っている日本発の多国籍企業が中心だったのだが、一つ面白法人カヤックを異色の存在として置いていた。リクルートにほぼ同期で転職した元同僚がカヤックのHRにいる関係で訪問を打診してみたところ、快諾してもらうことができた。

 

カヤックに訪問したいと思ったのにはいくつかの理由がある。

  • 事業内容が「日本的面白コンテンツ事業」である
  • (とかく悪評が出回っている)いわゆる「日本企業」の対極にある存在を見せたい
  • ユニークなマネジメントシステムを将来の経営幹部候補達に見せてあげたい

 

カヤックは競技プログラミングのコンテストで優勝者を過去多く輩出するなどサーバーサイドプログラミングの技術においてトップレベルにあるだけでなく、クリエイティビティの高い社員、及びそれを支えるユニークな制度・社風(サイコロ給、漫画名刺など)で知られる。

 

何をするかより誰とするか

「こんなに遠く(鎌倉)まで連れてきて、この古民家がテックスタートアップだって?お前ら、ふざけてるんだろう」

オフィスに入った瞬間はマジでこんな感じのことを言ってるやつらがいた気がするが、プレゼンが始まるとすぐに、みんな感嘆した。それも、以下のステップで興奮のギアが高まっていった。

 

Step 1:カヤックの制作物をWEBで見る⇒これはすごい、クールだ

Step 2:事業内容を聞く⇒プロモーションワークとゲーム制作はわかったけど、葬儀とかもやってんの!?

Step 3:人事制度を聞く⇒なんてユニークな会社なんだ・・・

 

Step 2~3あたりから皆大騒ぎだったので、HR担当者の言葉を訳していくこちらもとても楽しかった。カヤックのユニークな制度の背景には全て合理的で考え抜かれた理由がある(サイコロ給、本社鎌倉の背景にも勿論ある)。

 

中でも以下のやり取りには感じ入ってしまった。

学生「何でこんなに技術力の高いスタートアップなのに葬儀事業をやってるんですか?」

HR「うーん、いわゆる事業戦略というものがないんですよねえ」

 

訳そうか迷った。もちろん彼らは戦略を、それも極めて一貫性のある戦略を非常に高い精度で実行している。続く言葉で補足してくれるはずだと信じ、そのまま訳した。

 

そんな馬鹿な、ということで爆笑する学生。そして、HR担当者が続けた。「何をするかより、誰とするかなんですよ」

 

非常に重要な言葉なので、慎重に訳した。

"Who you work with matters more than what you do"

 

学生が静かになった。

誰と働くか

トレックが終わった後2日ほど実家に滞在した際、とあるNHKの番組を観た。某大手アミューズメント企業の社長が、バイトとして複数の店舗に潜入し、現場の生の声を拾うという企画のものだ。この社長の方が実は高校かつ大学の部活の大先輩で、以前何度かお話しさせて頂いているプロ経営者の方なので、放送を知り録画しておいて欲しいと実家にお願いしておいたものだ。

 

素晴らしい放送で、この経営者の方はもちろん全くおごることなく虚心坦懐に現場の悩みや問題点を拾い上げ、最後に正体を明かす段になっても一人ひとりの良いところを褒め、労をねぎらい、会社としての改善を誓っておられ、月並みにいって非常に感動したのだが、それよりも現場の一人ひとりの働きぶりや悩みの告白を見ていて思わず涙が出てしまった。

 

傍から見ていたらなぜそこで泣くのか意味不明だったと思うが、例えば小さい頃からそこのゲームセンターに通い、現在バイト入社3ヶ月目の人が、全店舗に先駆けて導入されたものの不振のカジノ型ゲームをどうしたら盛り上げられるかを真剣に悩んでいる姿を見て、こみあげてくるものがあった。

 

すごく合理的(そしてつまらない)な考え方としては、「たかがバイトがどんなに一生懸命取り組んでも時給は変わらない」「何か頑張る動機があるとしたら社員登用に繋がるかどうかぐらいだろう」というスタンスも考えられる。しかし、自分の目にはその人がそうした動機で仕事に取り組んでいるようには見えなかった。

 

その時に、カヤックで聞いた言葉が思い出された。そうか、自分はこういう人と働くことをすごく大事なことだと思っているんだなと思った。人間の体力と時間は有限だし、仕事だけに全てのリソースを割くわけにもいかないのも現実だしそうしたいわけでは全くないんだけど、何かこれはと決めた仕事をやってやるぞと意気込んだ時に、その目標とする達成水準が極めて高い人。また、その達成に向けた動機が、昇進とかボーナスとか怒られたくないとかそういうことではなく、ただそれを成し遂げたいという気持ちによるものである人。全ての仕事に全力である必要はない(長期的に成果を挙げるためにも)のだけど、全力の質が高い人というものに自分は惹かれ、一緒に働くことを幸せに感じるのだなと思った。

 

コンサルタントとしての仕事の中でも何度となく感じていたことではある。プロジェクトテーマが何であっても、プロジェクトが大変であっても、チーム・クライアントといった一緒に働く人に恵まれるとそのプロジェクトはめちゃくちゃに楽しい。今回の一週間の中で、改めて言葉にしてそれを認識できたのは収穫であった。

カヤック訪問の反響

ほぼ余談になるが、トレック後に各企業訪問への感想を問うアンケートを実施したところ、カヤックはとても高い点数ではあったものの、2人ほど、10段階評価で5以下をつけているやつがいた。理由を見ると、「非日本語話者を採用しておらず、トレックとしてはあまり関連性がないから」。これはこちら側の事前の期待値調整にも責任があるとはいえ、おいおいそんなに就活という近視眼的な捉え方に終始してしまっていいんかーいとは思った。君らは将来経営者/経営幹部になりたいからMBAに来ているのではないのか、人事制度のくだりとかが今後何かの役に立つ可能性があるとか思わないのか!

 

なお、その2日後ぐらいにカヤックに「5」をつけたうちの一人から連絡が来た。「いま自分がインターンしている会社で日本でプロモーションするパートナーを探しているからカヤックを紹介して欲しい」。オラ、そういうことだよ。何がどう繋がるかわからないんだから、一個一個の経験を大事にしたほうがいいんじゃねーのか!余談でした。

私の就活不採用体験記

人々の仕事へのモチベーションには様々なものがある。僕にとって金銭的な成功というものがその中の一つにあるとすれば、その原点は、就職活動で通い詰めた六本木ヒルズをエレベーターで上がっていくときのあの気持ちに集約されているような気がする。

 

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就活が解禁になったらしい。今はどういうルールなのかよく知らないけど、10年以上も前に自分も就活をしたことを思い出す。特に、最終的にはご縁のなかった某外資系証券会社の選考のことは、いま思い出しても笑ってしまう。でも、とてもわくわくする経験だったし、色んなことを知ることができた。

 

社会人になってから数年間の自分の無能ぶりを思い返すに、間違ってオファーをもらわなくて本当によかった、ということもある。瞬速でクビになっていたことは間違いない。でも、持てる力、もしくは持てる以上の力を出してソーシャルラダーを登ろうとチャレンジしたのはあれが最初の経験だっただろう。無茶苦茶なやり方であっても。

大学3年の秋、選考参加

今でもそういう傾向があると思うけど、東京の片田舎に生息している一橋大学の学生は全般的に世の中の流れに疎い。一部、キャリアデザイン委員会というパーティが好きそうな人達が集まっているサークルの人たちは外資系の会社を受けるなどしていたけど、僕が属していた体育会だと、セコセコと就職活動をするのはカッコ悪い、放っておいても重厚長大メガバン商社の内定は来る、鷹揚に構えよ、なんなら留年・就職浪人してなんぼといった雰囲気すらあった。

 

僕は高校生の頃からウォールストリート投資銀行残酷日記―サルになれなかった僕たちを読むぐらいませていたし、そういう昭和な雰囲気があまり好きでなかったので、自分の就活はしっかりやろうという気概に満ちていた。

 

しかし、出遅れた。気がついた時には既にいくつかの外資系証券しか応募できなくなっていた。しかも殆どは何かしらを英語で書いてエントリーすることが求められる。そんな時間はなく、結局日本語で提出が可能だった六本木ヒルズの某社にだけエントリーした。大幅にハンデを背負った感があったが、時はM&Aブーム真っ盛り。僕は何としても一本釣りでこの証券会社のオファーをとってやろうと意気込んでいた。

絶対にポテ採されてやる

たしか、まずはグループディスカッションをして、その後各部署の選考が始まっていくことになった。希望部署に印をつけて提出するのだが、僕はバックオフィスまで含めて全部門に印をつけた気がする。結果、確かプライマリーマーケットからはIBD・戦略投資部・マーチャントバンキング部、セカンダリーマーケットからは日本株トレーダー・債券セールス・コモディティトレーダー(だったかな?)の計6つの部門から面接の案内が来た。

 

セカンダリーの面接はどこも一回で落ちた。しかしIBDの面接はトントン拍子に進み、確か3回ほどの面接でインターンに参加することが決まった。

 

当初よくわかっていなかったのは、戦略投資部(ASSG)とマーチャントバンキング部(REPIA)である。この部門は希望部署を選ぶ一覧にも名前が載っておらず、当然印をつけた記憶もない。面接の初日に面接官をしてくれた人たちは、面接後に自分たちは「リクルーター」だと名乗った。

 

彼らが話してくれたところから理解したのは、この二つの部門はどちらもPI(プリンシパル・インベストメント)といって、証券会社の自己勘定で投資をする部署であるということ。PIは業界でもとても人気があり、IBDからも行きたがっている人は多いということ。新卒は通常採らないのだが、今年は2人を採ることが既に決まっており、3人目を採るかどうかをいま検討していること。

 

これはものすごいチャンスだと思った。そして、たぶん素の自分の実力で挑んだら絶対にオファーをもらえそうにないことも分かった。これは、最大限に自分の潜在能力を大きく見せて、ポテンシャル採用を狙うしかない。

 

絶対にポテ採されてやる・・・僕は意気込んだ。

 

めちゃくちゃなのにトントン進む選考

如何せん実力も準備も不足している中で無理に自分を大きく見せるしかなく、その結果いくつかの珍面接が繰り広げられた。

六本木ヒルズっていくらすると思う?

計十数回に及ぶ面接戦の序盤、入って2年目ぐらいの方との面接。雑談のような話の流れで、急に「六本木ヒルズっていくらすると思う?」と聞かれた。これは今にして思えばいわゆるケース面接の一種だったのだが、そんなものに接したことがなかった自分は、「え…わかりません」と返した。「考えてみて」「うーん…100億円ぐらいですかね?」「なんで?」「いや、何となくですが…」。

 

「あのねぇ、こういうのはやり方があるの。1フロアに入っているテナントはどのぐらい、そのテナントは月にいくら家賃を払う、この物件の利回りはどのぐらいだと考えられる、ってステップを踏んで考えるんだよ」。なるほど、そうか。知らねーよ。

 

でも落ち込んだ感じを見せたらダメな感じがしたので、殊更に目をキラキラさせて「そうなんですね!すごく面白いですね!」と興奮を装って応答した。なんだかそうすると、就活慣れはしてないんだけど知的好奇心がすごい天才肌の人に見える可能性があるような、そんな気がした。

 

それが功を奏したのかわからないが、その面接は突破した。

※ひょっとすると、最初のリクルーター面接を通った人はとりあえず部署の人全員に合わせるという方針だったのかもしれない

君ぐらいのやつこの会社には一杯いるんだよ! 

面接の中盤戦、僕は鉄板の自己紹介を毎回展開するようになっていた。「僕は頭も物凄くいいですし、体育会のアイスホッケー部で夜中に練習して昼間も普通に大学に行ってますので、そうやって朝から晩まで働く体力も活かせば御社で活躍できると思います」。この無茶苦茶なテンプレを、ものすごい真顔で述べる。これも、「相当トガらないとこの部署は絶対に受からない」という考察あっての作戦だが、実際に毎回悪くない感触が得られていた。

 

ところが一回、マジギレされた。

「頭が良いって君、一体何を根拠にそんなこと言ってるんだよ!?」

「(やばい…)えっと、〇〇とか〇〇でして(←精一杯の論拠)」

「あのねぇ、君ぐらい頭がいいやつなんて、この会社には一杯いるんだよ!!」

 

「いるんだよ!」ぐらいのところで机を思いっきり引っぱたかれた。手の端にボールペンの端があたり、ボールペンが回転しながら宙に舞って、落ちた。しーん。

 

「すみませんでした。そんなに頭が良い方がたくさんいらっしゃる会社で働きたいと本当に思います」。さすがにこれは平謝りするしかなかった。こっちが悪い。ゲザる勢いで謝った。

 

この面接もなぜか通った。

鳴らない電話

 そうやって十何回かの面接をこなしていたある日、偉い方との面接があった。あまり感触が良くなかったな…と思っていると、帰る前にリクルーターの方と話をする席を設けて頂いた。

 

「まあ、最初はIBDから入るってのもいいと思うよ。足腰が身につくし。IBD結構進んでるんでしょ?」

 

IBDは先日にインターンが終わり、スーパーデイという最終面接に呼ばれるかの結果待ちだった。でも僕は既に、PIに入りたいと思っていた。このタイミングでこんなことを言われるのは、明らかに良くないサインだった。

 

IBDのインターンの翌日、担当の方から「是非最終面接に来て頂きたいと思っているんですが、まだ確定ではありません。別途連絡します。それまでに、もし他の会社につかまって身動きが取れなくなったりしたら、私の携帯に電話をください」と言われていた。

 

電話が来るはずの日、僕は彼女とディズニーランドに行っていた。気が気でなく、何度も携帯を確認したけれど、着信はなかった。夜の23時まで待って、もうダメだったんだろうと理解しつつもその人の携帯に電話をかけたけど出ない。ここまで来たらいっそ、と会社のデスクに電話をかけたら、「もう失礼しております」と言われた。

 

後から聞いたら、スーパーデイに呼ばれる人は、インターン翌日時点で既に呼ばれていたらしい。インターンは第一群と第二群がいたので、僕は第二群の選考結果が出るまでの補欠だったのだろう。それにしても、あんなにたくさん六本木ヒルズに通い詰めたのに、全てがあっけなく終わってしまった。一時は国立の片田舎から六本木ヒルズに到る道が見えていたのに、全部ゼロからやり直しになった。

 

冒頭に述べた通り、今にして思うと、どちらの部署からもオファーをもらえず本当に良かったと思う。社会人としての自分はスロースターターすぎて、絶対にうまくいかなかったはずだ。それでも、六本木ヒルズの高層階に上がっていく時のあの気持ち、絶対にポテ採されてやるという意気込みと、本当にそれがかなうかもしれないというドキドキは、今でも忘れずに覚えている。そして、ああいう社会の階段を上る時のわくわく感は、現在に至るまでの自分の仕事へのモチベーションに何らか寄与しているはずなのだ。

 

本当に実力をつけるための研鑽ではなく、無い実力があるかのように見せる戦い。当時の努力は健全とは言えないものだったけれど、僕にとっては原体験とも言えるような、大切な思い出となっている。

英単語を1.5万個覚えると世界はどう変わるか

英語を諦めてしまう前に

突然だけど、今回の人生において英語の勉強はこの辺にしておいた方がいいのかなとここ数ヶ月考えていた。何せ投資対効果が悪すぎるのだ。冗談抜きで、機械翻訳も今後ますます発展する中、英語の習得に途方もない時間をかけるべきかというのは真剣に議論されるべき論点だ。

 

既に「ある程度」の英語力が身についているということもある。ここでいう「ある程度」を思い切って書き下すと、

  • MBAの授業で教授が話している内容は殆ど理解できる
  • しかし実はネイティブの学生が突如繰り出す質問についていけないことも多い
  • 言いたいことを整理する時間があれば、文法的にまずまず正しい英語を皆が分かる発音で発信することができる
  • しかし流暢な人同士が話している流れに食い込もうとすると、かなりブロークンで聞き手に忍耐を強いる英語を話さざるを得ない
  • 殆どの映画やドラマを字幕なしで観ても楽しむレベルで理解することが出来ない
  • The Economistなど教養あるネイティブが読む雑誌を辞書なしで読むことも厳しい
  • TOEFLは100点取っている
  • TOEICはTOEFL70点台の頃に930点だったから、今は満点取れるかもしれない
  • しかし上記の通り、自分の英語運用能力に絶望している

といったところだ。つまり一言で言えば、「何か特別な理由があればチームメンバーに入れてやらなくもないが、基本的にはストレスなく意思疎通ができないし、英語圏におけるポップカルチャーや時事の話題にも疎いので避けたい外国人」というのがグローバルチームにおける自分の英語力の客観的な評価となるだろう。

 

中学生で英語の勉強を始めた時、自分の目標はアメリカの映画を字幕なしで観られるようになることだった。英語の授業が始まってすぐに、日本橋の丸善にバック・トゥ・ザ・フューチャーのスクリプト本を買いに行った。それから決して少なくない時間を英語につぎ込んできたけど、その目標が達せられる感じは全然してこない。

 

冒頭で述べたように、英語の勉強をここらで止めるのも、合理的な判断の結果として十分にあり得る。というか、他の人が全く同じ境遇にあったら、そのようにアドバイスする気がする。「もうそのへんで十分だろ。日本人として悪くない水準だよ。お前にはもっと向いてるものがあるから、そっちに時間を投資すべきだよ」と。

 

しかし、自分は本当にできることを全てやっただろうか。それどころか特に留学に来てからは、英語の勉強から逃げていたような気すらする。MBA留学に来て英語を勉強しようとするのは日本人だけである。自分は、ろくに英語もできないくせに、英語を勉強することをともすれば恥ずかしく感じて、問題なく毎日をこなせているようなふりをすることに精いっぱいになっていなかったか。なんてダサいんだ。

 

他にもやりたいことがたくさんあるから、英語にばかり時間を使うわけにはいかない。でも、英語に見切りをつけてしまう前に、最後にやってみたいチャレンジがある。

単語力を死ぬほど強化してみる

お勉強という行動が人生の中でもトップレベルに好きなのだが、こと語学の勉強に関しては正直嫌いだし、苦手である。語学の習得というのは、ほとんど鍛錬・トレーニングの部類に入るからだ。

 

勉強をするのが嫌いであるからこそ、実は英語の学習法については一家言を持つレベルで詳しい。なるべく効率的に勉強を済ませたいと思ってきたのだ。実際、その時々で不足する側面を、適切なトレーニングで比較的効率よく伸ばしてきたと言える。しかし、実は分かってはいながら遠ざけていた勉強がある。

 

それが単語だ。「語学は突き詰めれば単語」と言われるほど、大学受験レベルの構文解釈力に加え、単語力があれば殆どの英文を読むことができる。しかし、それではまるで単語力が読解力(リーディング)にしか効かないかのようだが、実はそうではない。そして、ここにこそ自分が伸び悩んでいる真の理由があるのではと思っている。以下の図を見て欲しい。

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上の図は、単語力の乏しさが、自分が一番課題を感じているリスニング力の不足にも影響しているのではという仮説を表している。「インプットが少ない」というのは恐らく間違いがなくて、自分はこれまで必要最低限の英文しか読んできた経験がない。即ち、大学受験の試験問題、及びTOEFLの勉強と試験問題がほとんどで、本を一冊読み通したことなどがない。実は海外ドラマを字幕つきで見て、字幕を読むのに集中したとしても理解できないことがある。これでは字幕なしで聞いて理解することなどできるわけがない。

 

それでこういうツイートをした。

 

元が体育会系なので、プロジェクト的に立ち上げてしまって、覚悟を決めれば一気に走るのは苦手じゃない。いっちょやってみるかと!!!

やり方

自分は勉強法マニアである。途中で軌道修正する可能性はあるが、一旦以下で進める。

目標

英語関連出版の雄アルクによれば、1.2万語が非ネイティブスピーカーとして自信を持って世に繰り出せる水準だという。しかし色々調べるに、1.2万語ではペーパーバックをスラスラ読むには心もとなく、1.5万語は欲しいところであるようだ。人によってはいやいやそれでも足りない2万語は必要だということのようなのだが、まずは1.5万語をマスターしてみよう。それでどれほど世界が違って見えるか。

 

3月は一人月分の仕事を受けているし、月末には試験があり、そこまで余裕はない。自分がどれだけ覚えられるかもわからない。が、いっぺん1.5万語を3月までの目標にしてみよう!!それがだめでも1.2万語!!(それがだめでも1万語!!

教材

5chによれば、

  • 1万2千語まではアルクのSVL(良さそうなアプリもある)
  • その後1万5千語までは英単語の部屋のリストをAnkiというソフトで覚える(SVLと重複がない頻出語をまとめてくれている神様のような人がいる)

というのが鉄板になっているようである。今回はこれでいく。実は英単語の本も軽く10冊ぐらい持っているので、上記を超える範囲または上記の復習でいずれそれらを活用することもあるかもしれないが、まずはシンプルに「SVL+部屋」という構成で臨む。

記憶法

英単語の効果的な覚え方はまだ実はよくわかっていない。TOEFL受験の時はオランダ式カード記憶法というものを用いて、これは忘却曲線の理論にも合致しており確実に記憶に定着するのだが、カードを作成する手間がかなりかかる。実は前から試してみたいと思っていた方法として、村上式シンプル英語勉強法で紹介されていた、「ひたすら眺める」というアプローチを今回は基本理念として採用してみたい。

 

そうはいっても1.2万語まではSVLのアプリ、1.5万語まではAnkiというソフトを使うことになるのだが、あくまで基本理念として。記憶力が高校生の頃よりはだいぶ落ちているので、なかなか覚えられなくても凹まずに、ひたすら眺めて馴染みをつけるような気持ちで頑張りたいと思う。

効果測定

以下のWeblioの語彙力テストは25問で結果が出るからすぐに測定が出来て良さそうだ。正確に語彙数を把握するよりも、素早く粗く測って、その分を勉強に充てられた方がいい。

uwl.weblio.jp

 

早速測ってみた。MBA留学生というのはTOEFL100点及びGMATをクリアする過程の中で、約9,000~10,000程度は語彙力を身につけると言われる。多少衰えたとはいえ、今でも8,000語程度はあるだろう。それでも2倍近くまでボキャビルすることになる。低くない目標を立てたものだ。

 

 

え、6,000~7,000語しかないの・・・?これは・・・低くない目標だ・・・。

一緒にやる人募集!

毎週土曜日に測定していきたいと思います。もっと上のレベルの人も、下のレベルの人も、一緒にやる人募集!!ツイッターのハッシュタグは #1ヶ月で1万5千語 とかで。やるぞーーーーー!!!

香港滞在折り返し地点~振り返り

早いもので昨年7月末に香港に来てから既に半年が過ぎ、香港に滞在するのも最大で残り半年となってしまった。今年の8月以降は上海に移り、(選考にうまく通れば)CEIBS-中欧国際工商学院に交換留学に行くことになる。

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学校の授業

Fall 1とFall 2それぞれ約2ヶ月ずつのセメスターに加え、約3週間のみのWinterセメスターが終わったわけだが、Fall 2はとりわけ大変だった。ほとんどの時間を課題の準備に追われてしまったと言える。

Fall 1

Management of Organization(成績A、学んだ度★★★☆☆)

Managerial Micro Economics(成績A、学んだ度★★★☆☆)

Financial Accounting(成績A、学んだ度★☆☆☆☆)

Corporate Finance(成績B+、学んだ度★☆☆☆☆)

Strategic Alliance in China(成績Pass、学んだ度☆☆☆☆☆)

The Art of War and Eastern Wisdom(成績B+、学んだ度★★★★★)

 

MBA生活始まって早々だったので、授業に対しても結構やる気があった…のだが、さすが新興のMBAだけあって、授業毎の当たり外れが非常に大きいということを痛感した。

 

例えばStrategic Alliance in China。その名の通り、中国における戦略的提携を扱う授業であるとシラバスにも書いてあったのだが、いざ始まってみると殆ど全く「中国」にも「提携」にも触れられず、なぜかロンドン発のFintechスタートアップの話ばかりを取り扱った笑 当該スタートアップの創業者をゲストスピーカーに招くなどもあり、それ自体は良い機会だったのだが、こちらもシラバスを読み込んで受講科目を選んでいるのだから勝手なことをされては困る。

 

また、最初は必修科目が多いので、商学部卒かつ経営コンサルタントをやっていた身としては、どうしても学びが少ない(法学部卒の弁護士がキャリアチェンジまたはキャリアにエッジを持たせるために来る、又は工学部卒のエンジニアが企画系に転ずるために来る、というのであればすごく意味があるのだろうが)。まあ、そんなことはわかっていたので、必修科目については仕方がない。

 

その点、The Art of War and Eastern Wisdomの授業はHKUSTならではの授業であった。全4回に過ぎないのだが、孫子の兵法をはじめとした東洋の智慧・東洋思想を深く掘り下げていき、個人としての生き方と企業戦略への応用について議論するという内容。正直内容を完全に消化しきれておらず、後半の課題として残るのだが、この授業を通じて一つ自分の中で鳥肌が立つほど理解が進んだ重要な考え方に触れることができたのは本当に良かった。

 

なお、ビジネススクールによってビジネス知識を一級レベルまで磨くことは難しいだろう、と思う。2年ぐらいのプログラムで、例えばファイナンスならファイナンスに絞って徹底的に偏った選択をすれば特定分野でそれなりの知識を得ることはできるだろうが、例えば一橋大学の商学部で4年間みっちりやったトップクラスの学生の方ならば、知識レベルではMBA生よりも強いと思う(HBS, Stanfordなどでも同じだと思う)。

 

では、MBAに来た意味はないのか…?と言えば、そんなことはないというのが現時点での答え。この点についてはいずれ触れたいと思う。

Fall 2

Global Macro Economics(成績B+、学んだ度★★★★★)

Marketing Strategy and Policy(成績A-、学んだ度★☆☆☆☆)

Data Analysis(成績A、学んだ度★★★★☆)

Operation Management(成績A-、学んだ度★★★☆☆)

China's External Relationship(成績A-、学んだ度★★★★★)

 

コア科目は、看板教授のRaoによるGlobal Macro以外は取り立てるべきものがなかった。Data Analysisは初等の統計学ではあまり扱わない話に入り込んでいき、自分は興味深かったのだが恐らく大多数の学生にとっては謎だっただろうし、Operation Managementは本来オペレーションの授業でカバーすべきことを扱わず、News standだの待ち行列だの、割と限られた問題における計算演習に重きを置いていて、これまたMBAの趣旨として「?」と思わざるを得なかった。

 

Rao教授を除けば、China's External RelationshipもHKUSTならではの中国系授業。この授業に関する説明は、敬愛する川崎さんのブログにお譲りしたい。

ちょっと脱線するが、選択科目が予想していたより面白いので少し紹介したい。

現在受けているある授業は、ニューヨークタイムズ、ウォールストリートジャーナルの記者を経て教授をしている人に教わっている。文化大革命直後の閉鎖的な中国で記者として動くことを許可された数少ない一人である。

この授業は中国と周辺国の関係について歴史、外交、経済の関係を分析するというもの。加えて、毎回その関係を語るにふさわしいゲストスピーカーを呼ぶ。ゲストスピーカーはAmbassador、公的機関のRepresentativeのレベルの方々である。プレゼンは15分、Q&Aは平均90分というところからも、学生とゲストスピーカーのやり取りがいかに活発かがわかっていただけると思う。教授のプレゼン能力は極めて低いものの、コンテンツのすばらしさ、準備に対する姿勢などから、普段は辛辣なコメントを吐く友人達からも評判がとてもよい。「Awesome」との評価を受けている。 

今年も、各国の大使館をはじめ、そうそうたる所からゲストスピーカーにお越し頂いた。中でも、親中派で香港人から結構嫌われているRegina Ip氏が来た回は、香港人に話すと羨ましがられたものである。その他、中国からは一切招かずに、ひたすら世界各所からお呼びして中国に関する見解を語って頂いたのは貴重な機会であった。

Winter

Responsible Leadership and Ethics(成績?、学んだ度☆☆☆☆☆)

Managerial Communication(成績?、学んだ度★★★★★)

 

Responsible Leadershipの授業は本当にひどかった。過去数年この講義を同じ教授で開いているはずだが、レベルが低すぎて話にならない。EthicsはMBAの重要科目なのだから、MBAOは真剣に改善を検討すべき。

 

一方、Managerial Communicationは本当に素晴らしい授業だった。15人ほどの小規模なクラスで、一対一・一対多・多対多など様々なシチュエーションで、プレゼンもしくは即興のQ&Aやストーリーテリングをする授業だったが、ほんの8回の授業を通し、はじめて英語でのプレゼンにある程度自信を持つことが出来た。これまではしゃべることを一言一句覚えていないとプレゼンに臨むのが怖かったのだが、ポイントさえ頭に入れておけば手ぶらで臨んでもなんとかなる、という心持ちになることが出来た(もっともあくまで最低限のレベルであって、英語力もひどいものなので自分で録画したビデオを見返しすと恥ずかしさに悶絶してしまう)。

 

ことMBAに来てからというもの、英語に限らずプレゼンそのものに関しては実に学ぶところが多い。言語力だけでなく理解力、背景知識などが異なる聞き手を相手に、如何に惹きつけ・理解し覚えてもらい・動いてもらうかを、ここに来てはじめてといっていいほど考えている。恥ずかしながらこれまでコンサルタントの仕事をそれなりの期間やっていながら、プレゼンを軽視していたということが身に染みた。

交友関係・課外活動

友人Aの結婚式

コアグループが一緒の友人Aが結婚式を挙げた。彼はフランスから香港に転職しもう10年弱ここにおり、当地で香港人の女性とこのたび結婚することになったのである。香港でご祝儀ってどうするんだ!?など、こちらにとっても色々初めてのことがあり戸惑ったのだが、ベイエリアが見渡せる凄まじい夜景のレストランでの結婚式に招いてもらったことはいい思い出になった。

スキートリップ

Aの結婚式が終わり、その足で空港に向かいゴミ箱にスーツを脱ぎ捨て、同級生約30人と共にニセコにスキー旅行に行った。他の日本人二人が色々と細かい気づかいをしてくれたこともあり、皆非常に喜んでくれ、間違いなくMBA生活の中でも記憶に残る思い出になったことは間違いない。しかし調子に乗って滑っていたら森の中で木に激突し肋骨を折ってしまい、まだ痛む。

ケースコンペティション

学内の選考チームに残ることができ、2月の8~10日に米国イリノイ大学のケースコンペに参加できることになった。HKD15,000がポンと渡されるので、帰りに少し米国旅行を楽しむ余裕もありそう。正直MBAのケースコンペはあまり好きじゃないのでコンペ自体は何も楽しみではないのだけど、これも良い思い出になるといいと思う。また、プレゼンはとにかく場数がものをいうところもあるので、これも英語プレゼンのいい練習になることを期待。

 

2回に分けて書く予定だったけど、面倒くさくなったので一旦ここでおしまい。