香港MBA留学後記

留学、その後

ひいおばあちゃんの赤い杖

91歳になる僕のひいおばあちゃんが持っている杖は赤くておしゃれな代物で、それなりに高価なものらしい。ところが先日おばあちゃんが整形外科に行った時、少し目を離した隙になくなってしまったんだそうだ。 

慌てて周りを見渡すと、別のおばあさんがその杖をついてまさに自動ドアから出て行こうとしているところだったようで、ひいおばあちゃんは「それあたしの杖です」と止めたらしい。そうすると赤い杖をとったおばあさんは、「あたしの杖はボロボロのだから、赤くていい杖があったからこりゃいいと思ってもらった」と開き直ったとのこと。「そんなのいやだから返してくれ」と、僕のひいおばあちゃんはなんとか赤い杖を返してもらったんだそうだけど、帰り際に杖を盗ったおばあさんがついている杖を見たら、それこそ棒っきれみたいな杖だったそうだ。なんかかわいそうだな。 

ひいおばあちゃんは杖をついているとはいえなお健全で、家事も全て自分でやっているし、今でも親戚一同を大爆笑させる話術を持っているらしい(僕自身は随分長いこと会っていない)。 
母づてにひいおばあちゃんの話を聞いて思い出したのだけど、亡くなってしまったひいおじいちゃんは随分色々な仕事に挑戦した人なのだった。戦争に行って、死んだと報を受けていたのにある日突然帰ってきて、その後何しろ様々やったらしい。海の家までやったことがあるってんだからすごいよね。 

明日からは人のためじゃなくて、自分のために仕事ができるか試してみよう。健全な自己中になろう。 

それにしても・・・。 
はじめてのおつかいはいつ見ても面白いな。 
これだけは欠かさず見てるよ。

エアガン一発500円の巻

電車の中で三丁目の夕日に読み耽っていたところ、銀玉鉄砲で遊んでいるシーンが出てきたのでふと思い出したのだけれど、昔公園で遊んでいたとき、お父さんがエアガンで撃たれたことがあったのだった。そして、撃たれたのは紛れもなく彼自身の責任によるところだった。 

おぼろげな記憶を辿るに、父にはその日妙なハイテンションがみなぎっていたように思う。公園で一緒に遊んでくれることも決して少なくない、実に良い父親であったと思うのだけど、その日の彼は危険だった。エアガンを握り締めた見知らぬ少年に話しかけ、「そのエアガンで俺を撃てたら500円やるよ」などという話を自分から持ちかけたんだからね。結果として、少年はいともたやすく父に狙いを定め、父はといえば両腕を左右に広げたまま微動だにせず弾丸をその身体に受け止めた。 

痛みは隠し切れないものの、潔く500円を少年に渡す父を、当時の僕は誇らしい気分で見つめていた。この人はなんて馬鹿なことを、大人ながらにして成し遂げるのだろうってね。 

かくして父はなお健在で、だけれども今ではかつてほどのクレイジネスは影を潜めている。ひょっとすると、あの日の父は決して大人らしからぬ大人であったわけではなく、実際にまだ子供だったのかもしれない。あれから15年ほども経っているのだから、彼も、そしてまた僕も成長したことだろうか。少なくとも、そうであって欲しいと願っている。

丸の内自分勝手倶楽部

平日朝に京葉線で東京駅に到着する電車を利用してる人はここにはそんなに多くないと思うのだけど、ルーチンの代名詞みたいな通勤電車とはいえ、毎朝乗っているとそれなりの気づきがあるものだ。 

いつの間にか僕は「東京駅に到着するなりエレベーターにダッシュする人達のグループ」に入会していた。京葉線の東京駅は地下3階の深さにあるので、エスカレーターでじっくりと上がるのはなかなかにかったるい。かくして最初っからエスカレーターに乗ることを放棄して、日々エレベーターに乗ることを狙う僕らがいるわけだ。我々は、電車が東京駅に着く遥か前からエレベーター最寄のドア前を陣取り、ドアが開くや否やエレベーターにまっしぐらになる。 

通勤電車に乗っているのは比較的健康な人々が多いので、利己心丸出しでダッシュしても、フェアネスを愛する心は痛まない。かといえ羞恥心という言葉の意味を知っている人ならば、お行儀良くエスカレーターに乗る人達の目に自分がどう映るものか少しは考えてみるはずなのだけど、人からどう見られようと知ったこっちゃない、俺は誰のために走るわけでもないただ自分自身のために走るのだなんて開き直りさえ得ている人もいる様子。というか、僕自身がそうなんだ。 

エレベーターに乗れる人数は限られているので、乗れない人だって出てくる。毎朝必ず人数オーバーで鳴るブザーの音を聞くことになるのだけど、最近では憐れみの心すら感じずにただ苛立ちを覚えるのみ。「早く、ドア閉まれ」としか思わない自分を一瞬振り返ると、それはまさしく蜘蛛の糸の世界だからね。 

ろくなことがあるわけない。いつか罰が当たる日を待っている。なんて。